・・・一々を実際の目で見ると、生物に与えられた狡智が、可笑しく小癪で愛らしい。いじめる気ではなく、怪我をさせない程度にからかうのは、やはり楽しさの一つだ。 ついこの間の晩、縁側のところで、私は妙な一匹の這う虫を見つけた、一寸五分ばかりの長さで・・・ 宮本百合子 「この夏」
・・・私は、気抜けしたように黙りこんで、広々とした耕地を瞰渡す客間の廊下にいた。茶の間の方から、青竹を何本切らなければならぬ、榊を何本と、神官が指図をしている声がした。皆葬式の仕度だ。東京で一度葬式があった。この時、私は種々深い感じを受けた。二度・・・ 宮本百合子 「この夏」
・・・こっちからインテリゲンツィアとして真面目にこの毎日の生活、人間としての生活の問題と一歩一歩闘って行って出た広場には、あちらの小路から工場の方から次第次第に欲求を追って進んで来た人々、更にそっちの耕地から農民としての生きる道を押して来た人々が・・・ 宮本百合子 「今日の文学に求められているヒューマニズム」
・・・、「ニイチェの『危険な生き方』とドストイェフスキーの英雄的な道徳廃棄論との巧緻な結合であり、しかも以上の二人の天才の倫理的熱情を全く欠いているジイドは」単に「感覚の玄人」として、世界観の飛躍を試みたに過なかった。 日本でジイドは、実に驚・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ そこを過ぎると、人家のない全くの荒地であった。右にも左にも丘陵の迫った真中が一面焼石、焼砂だ。一条細い道が跫跡にかためられて、その間を、彼方の山麓まで絶え絶えについている。ざらざらした白っぽい巌の破片に混って硫黄が道傍で凝固していた。・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
・・・ 吉右衛門の河内山の癖をもじって、皆、スケッチをそっちのけに笑った。 詮吉が散歩に出たいと云う、総子は風があるから厭だと云う。結局なほ子と詮吉とだけ出かけることになった。 詮吉は軽そうなセルに着換え、ステッキを下げて出て来た・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
・・・四国の高知で、争議した小娘たちを殺すぞ、とおどかしたのは総同盟の男たちであった。〔一九四七年六月〕 宮本百合子 「その檻をひらけ」
・・・斯うやっていても、耕地の土の匂い裸足で踏む雑草の感触がまざまざと皮膚に甦って来る。――子供の時分は愉しかった。私が裸足で百姓の後にくっついて畑から畑へと歩き廻っても、百姓は気楽に私に戯談を云い彼の鍬を振った。どんな農家の土間を覗きこんで「そ・・・ 宮本百合子 「素朴な庭」
・・・太平洋戦争がはじまるとともに検挙されて、翌年の七月末、熱射病で死ぬものとして巣鴨の拘置所から帰された。そのとき心臓と腎臓が破壊され視力も失い、言語も自由でなくなった。戦争の年々にそろそろ恢復したが、この三、四年来の繁忙な生活で去年の十二月、・・・ 宮本百合子 「孫悟空の雲」
・・・ 幾エーカーと云う耕地に、小山の如く積みあげられた小麦の穂を眺めて、彼等は思わず誇りに胸を叩いたでしょう、その心持は察せられます。今日、彼等の社会を風靡していると云われる物質主義、精力主義、並に実利主義は、未開の而も生産力の尽くるところを知・・・ 宮本百合子 「男女交際より家庭生活へ」
出典:青空文庫