・・・ 広い耕地を見晴す縁側の柱の下に坐り、自分は、幾度も、幾度も繰返して文面を見た。第一、なくなられたという深田という人が、誰であったか、どうしても思い出せない。女学校を出てから、殆ど五年ばかりになる。学校にいた時分と同じ姓なら、いくら、人・・・ 宮本百合子 「追想」
・・・を書き終ったとき、血圧が高まり、五年前に夏巣鴨の拘置所のなかでかかった熱射病の後遺症がぶりかえしたようになった。視力が衰えて、口をききにくくなって来た。仕方がなくなって、友人の心づかいで急に千葉県の田舎へ部屋がりをした。そして、その友人に日・・・ 宮本百合子 「「道標」を書き終えて」
・・・帝政時代のロシア支配階級はその他多くの弱小民族を圧迫し生活権を奪うことによって豊沃な耕地を、森林を、鉱山と港とを自分の富として加えた。タタール民族ユダヤ民族は、自分らの言葉で書いたり読んだりすることさえ禁じられていた。小学校は強制的にロシア・・・ 宮本百合子 「ドン・バス炭坑区の「労働宮」」
・・・四 その田地――禰宜様宮田が実に感謝すべき御褒美として、海老屋から押しつけられた――は、小高い丘と丘との間に狭苦しく挾みこまれて、日当りの悪い全くの荒地というほか、どこにも富饒な稲の床となり得るらしい形勢さえも認められないほ・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・ 自分がいればいるほど、大混雑になる家から逃れるようにして、彼は出来るだけ野良にばかり出ていた。 けれども、別にそう大して働かなければならないほどの仕事もない。 耕地の端れの柏の古木の蔭に横たわりながら、彼は様々な思いに耽ったの・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
桑野村にて ○日はうららかに輝いて居る。けれども、南風が激しく吹くので、耕地のかなたから、大波のように、樹木の頭がうねり渡った。何処かで障子のやぶれがビュー、ビュービューと、高く低くリズムをつけて鳴って居る・・・ 宮本百合子 「「禰宜様宮田」創作メモ」
・・・鼠は鳩麦の袋を破ってそれを喰べていたのであったが、私たちの驚き且つ感歎したのはそのたべようの巧緻さである。鳩麦の、瀟洒な色の、つるりと堅い細長いこまかな殼の胴なかを噛みやぶってみだけ綺麗にたべている。鳩麦の夥しい殼は空の小舟のような軽い粒々・・・ 宮本百合子 「鼠と鳩麦」
・・・そのプログラムには、夜十時就寝、一日三回の検温、正しい食事、毎日午前中に巣鴨拘置所へ面会にくること、などが含まれていた。これを三ヵ月ほど実行している中に、微熱は出なくなった。十二月に盲腸炎を起し、慶大病院で手術した。一九三九年・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・米価はひどい騰貴で商人は肥え、庶人は困窮し、しかも日光の陽明門が気魄の欠けた巧緻さで建造され、絵画でも探幽、山楽、光悦、宗達等の色彩絢爛なものがよろこばれている。よるべない下級武士の二六時にのしかかって来る生活のそういう矛盾が、宗房のような・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
・・・だから重吉は、自分の努力で病勢を納めて来ているものの、本当には拘置所で患うようになった結核がどの程度のものなのか、正確に知らないも同然であった。もし余りよくなかったとき、いきなりその場でひろ子までを切なくさせたくない。ひとりでにその不安から・・・ 宮本百合子 「風知草」
出典:青空文庫