・・・もう今日の洋画家中唯一の浅井忠氏を除けばいずれも根性の卑劣なぼうしつの強い女のような奴ばかりで、浅井氏が今度洋行するとなると誰れもその後任を引受ける人がない。ないではないが浅井の洋行が厭であるから邪魔をしようとするのである。驚いたものだ。不・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
・・・すなわち哲学の私情は立国の公道にして、この公道公徳の公認せらるるは啻に一国において然るのみならず、その国中に幾多の小区域あるときは、毎区必ず特色の利害に制せられ、外に対するの私を以て内のためにするの公道と認めざるはなし。たとえば西洋各国相対・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・ 私達常識人からみると、これは一公人として無能力であったことを世界に証明してもらってありがたいということです。泉山蔵相がよって、醜態を演じて、さめたときはおぼえがないという、それでとおってきたこれまでの天皇制的特権者たちの共通なみにくさ・・・ 宮本百合子 「泉山問題について」
・・・そういう愛情は日本の社会でいわば公認の愛の局面であるが、自分に向けられる母の愛、気づかい、心配などを、有難いとともに漠然負担に感じないで暮している娘さんたちが今日はたして何人あるだろうか。日本の女の自己犠牲の深さということを一方においてみる・・・ 宮本百合子 「女の自分」
・・・ 作家を公人として見て、姓名だけをよんで来た読者の習慣とそれとは感情において決して一つのものでないことは明らかである。 デパートの書籍売場などで、反物を相談するように、これがよく出ます、と云われる本を買ってゆく奥さん風のひとも多いそ・・・ 宮本百合子 「今日の読者の性格」
・・・ 自分の公認処女作は「貧しき人々の群」というので大正五年に『中央公論』に発表された。 福島の田舎におばあさんが独りで暮していた。小学校の一年ぐらいから夏休みになると、海老茶の袴をはいて、その頃は一つ駅でも五分も十分も停る三等列車にの・・・ 宮本百合子 「「処女作」より前の処女作」
・・・いから、たとえば文化面における戦争協力の責任追求も、実にいい加減なものだし、追求されたそれぞれの文学者たちがまた一向本質的な痛痒を感じないで、武者小路実篤のように平気で、その平気さをブルジョア文壇から公認されているか、さもなければ石川達三の・・・ 宮本百合子 「討論に即しての感想」
・・・いずれも文学的公人であるから名をあげることをも許されると信じるが、その夫婦は佐佐木茂索氏夫妻である。 何かの折佐佐木茂索氏とふさ夫人とが題材としては小さい一つの題材を二人両様に扱って書いたところ、その扱いかたの腕では、茂索氏が勝ったとか・・・ 宮本百合子 「夫婦が作家である場合」
・・・若い娘とその両親とが、公人としてそれぞれの立場から結婚の問題や婦人と職業の問題について睦じく公然と意見を話す時代になって来たのは、社会的に云っても、家族生活にとって一つの積極性であると思う。親と子とが、ひとの前ででも、しゃんと互を傷けずに各・・・ 宮本百合子 「短い感想」
出典:青空文庫