・・・人情の向背も、世故の転変も、つぶさに味って来た彼の眼から見れば、彼等の変心の多くは、自然すぎるほど自然であった。もし真率と云う語が許されるとすれば、気の毒なくらい真率であった。従って、彼は彼等に対しても、終始寛容の態度を改めなかった。まして・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・ここも紫檀の椅子机が、清らかに並べてありながら、冷たい埃の臭いがする、――やはり荒廃の気が鋪甎の上に、漂っているとでも言いそうなのです。しかし幸い出て来た主人は、病弱らしい顔はしていても、人がらの悪い人ではありません。いや、むしろその蒼白い・・・ 芥川竜之介 「秋山図」
・・・「皇国の興廃この一挙にあり」云々の信号を掲げたということはおそらくはいかなる戦争文学よりもいっそう詩的な出来事だったであろう。しかし僕は十年ののち、海軍機関学校の理髪師に頭を刈ってもらいながら、彼もまた日露の戦役に「朝日」の水兵だった関・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・それが近くなるに従ってだんだんに大きくなって、自分たちの足もとへ来ては、一間に高さが五尺ほどの鼠色の四角な石になっている。荒廃と寂寞――どうしても元始的な、人をひざまずかせなければやまないような強い力がこの両側の山と、その間にはさまれた谷と・・・ 芥川竜之介 「槍が岳に登った記」
・・・しかしまたそのほかにも荒廃を極めたあたりの景色に――伸び放題伸びた庭芝や水の干上った古池に風情の多いためもない訣ではなかった。「一つ中へはいって見るかな。」 僕は先に立って門の中へはいった。敷石を挟んだ松の下には姫路茸などもかすかに・・・ 芥川竜之介 「悠々荘」
・・・―― そこら、屋敷小路の、荒廃離落した低い崩土塀には、おおよそ何百年来、いかばかりの蛇が巣くっていたろう。蝮が多くて、水に浸った軒々では、その害を被ったものが少くない。 高台の職人の屈竟なのが、二人ずれ、翌日、水の引際を、炎天の・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・ 自分はこの全滅的荒廃の跡を見て何ら悔恨の念も無く不思議と平然たるものであった。自分の家という感じがなく自分の物という感じも無い。むしろ自然の暴力が、いかにもきびきびと残酷に、物を破り人を苦しめた事を痛快に感じた。やがて自分は路傍の人と・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・ こう思うと、また、古寺の墓場のように荒廃した胸の中のにおいがして来て、そのくさい空気に、吉弥の姿が時を得顔に浮んで来る。そのなよなよした姿のほほえみが血球となって、僕の血管を循環するのか、僕は筋肉がゆるんで、がッかり疲労し、手も不断よ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・地震でドウなったか知らぬが大方今は散々に荒廃したろう。(八兵衛の事蹟については某の著わした『天下之伊藤八兵衛』という単行の伝記がある、また『太陽』の第一号に依田学海の「伊藤八兵衛伝」が載っておる。実業界に徳望高い某子爵は素七 小林城・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・樹木の繁茂は海岸より吹き送らるる砂塵の荒廃を止めました。北海沿岸特有の砂丘は海岸近くに喰い止められました、樅は根を地に張りて襲いくる砂塵に対していいました、ここまでは来るを得べししかしここを越ゆべからずと。北海に浜する国・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
出典:青空文庫