幼い時に両親に連れられてした長短色々の旅は別として、自分で本当の意味での初旅をしたのは中学時代の後半、しかも日清戦争前であったと思うから、たぶん明治二十六年の冬の休暇で、それも押詰まった年の暮であったと思う。自分よりは一つ・・・ 寺田寅彦 「初旅」
・・・初めの半分はオラーフ・トリーグヴェスソンというノルウェーの王様の一代記で、後半はやはり同じ国の王であったが、後にセント・オラーフと呼ばれた英雄の物語である。 大概は勇ましくまた殺伐な戦闘や簒奪の顛末であるが、それがただの歴史とはちがって・・・ 寺田寅彦 「春寒」
・・・たとえば議会や公判の筆記でも、それが忠実なものなら、すべての人の何かの参考になり、少なくも心理学者の研究材料ぐらいにはなる事が多い。それで日刊廃止の場合にこれに代わるべきものの社会記事はできるだけ純客観的で科学的であってほしい。そういう意味・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
・・・同じ写生帳の後半にはそこの寄宿舎や、日奈久温泉、三角港、小天の湯などの小景がある。日奈久の温泉宿で川上眉山著「鳰の浮巣」というのを読んだ事などがスケッチの絵からわかる。浴場の絵には女の裸体がある。また紋付きの羽織で、書机に向かって鉢巻きをし・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・「そうさな、前半は唄のつもりでもなかったんだが、後半に至って、つい唄になってしまったようだ」「屋根にかぼちゃが生るようだから、豆腐屋が馬車なんかへ乗るんだ。不都合千万だよ」「また慷慨か、こんな山の中へ来て慷慨したって始まらないさ・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・ ある晩甲板の上に出て、一人で星を眺めていたら、一人の異人が来て、天文学を知ってるかと尋ねた。自分はつまらないから死のうとさえ思っている。天文学などを知る必要がない。黙っていた。するとその異人が金牛宮の頂にある七星の話をして聞かせた。そ・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・十四世紀の後半にエドワード三世の建立にかかるこの三層塔の一階室に入るものはその入るの瞬間において、百代の遺恨を結晶したる無数の紀念を周囲の壁上に認むるであろう。すべての怨、すべての憤、すべての憂と悲みとはこの怨、この憤、この憂と悲の極端より・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・その前半は黒板を前にして坐した、その後半は黒板を後にして立った。黒板に向って一回転をなしたといえば、それで私の伝記は尽きるのである。しかし明日ストーヴに焼べられる一本の草にも、それ相応の来歴があり、思出がなければならない。平凡なる私の如きも・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
○明治廿八年五月大連湾より帰りの船の中で、何だか労れたようであったから下等室で寝て居たらば、鱶が居る、早く来いと我名を呼ぶ者があるので、はね起きて急ぎ甲板へ上った。甲板に上り著くと同時に痰が出たから船端の水の流れて居る処へ何心なく吐くと・・・ 正岡子規 「病」
・・・あんまりみんな甲板のこっち側へばかり来たものだから少し船が傾いた。風が出てきた。何だか波が高くなってきた。東も西も海だ。向うにもう北海道が見える。何だか工合がわるくなってきた。 *いま汽車は函館を発って・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
出典:青空文庫