・・・男を観察し、女中の留守には自分の洗ったお茶碗を傍で拭き、得意の庖丁磨きをすることを恒例とする良人、労農派の総帥山川均氏をはじめ、親類の男の誰彼が特殊な事情でそれぞれ女のする家のことをもよくするということで、すべての男性というものを気よくその・・・ 宮本百合子 「昨今の話題を」
・・・ 元来、品川の伯父さんと呼ばれた方が、事業上の熱意のほかにどんな趣味をもって居られたかは知らないが、孝子夫人の母上、現子夫人は、今日高齢にかかわらず、猶読書が唯一のたのしみとなっている方である。兄上の谷口辞三郎氏は、早い頃フランス文学を・・・ 宮本百合子 「白藤」
十二月の中旬、祖母が没した。八十四歳の高齢であった。棺前祭のとき、神官が多勢来た。彼等の白羽二重の斎服が、さやさや鳴り拡がり、部屋一杯になった。主だった神官の一人がのりとを読んだ。中に、祖母が「その性高く雄々しく中條精一郎・・・ 宮本百合子 「祖母のために」
・・・やはり文学がすきで、作文のなかに漱石もどきに、菫ほどの小さき人云々と書いたりしていた高嶺さん。ショルツについて分教場でピアノを勉強していたこの友達は、独特なシントーイストの妻となって、小説を書く女とのつき合いなどは良人であるひとからとめられ・・・ 宮本百合子 「なつかしい仲間」
・・・というのは、そのころ有名な学者や文人には、あまり高齢の人はなく、四十歳といえばもう老大家のような印象を与えたからである。夏目漱石は西田先生の戸籍面の生年である明治元年の生まれであるが、明治四十年に朝日新聞にはいって、続き物の小説を書き始めた・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
出典:青空文庫