・・・……高い廊下をちらちらと燭台の火が、その高楼の欄干を流れた。「罰の当ったはこの方だ。――しかし、婦人の手に水をかけたのは生れてからはじめてだ。赤ん坊になったから、見ておくれ。お庇で白髪が皆消えて、真黒になったろう。」 まことに髪が黒・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・例えば左にも右くにも文部省が功労者と認めて選奨した坪内博士、如何なる偏見を抱いて見るも穏健老実なる紳士と認めらるべき思想界の長老たる坪内氏が、経営する文芸協会の興行たる『故郷』の上場を何等の内論も質問もなく一令を下して直ちに禁止する如き、恰・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
坪内君の功労は誰でも知ってる。何も特にいわんでも解ってる。明治の文学の最も偉大なる開拓者だといえばそれで済む。福地桜痴、末松謙澄などという人も創業時代の開拓者であるが、これらは鍬を入れてホジクリ返しただけで、真に力作して人跡未踏の処女・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・旧幕の末路にあたって経済上、農業改良上について非常の功労のあった人であります。それでわれわれもそういう人の生涯、二宮金次郎先生のような人の生涯を見ますときに、「もしあの人にもアアいうことができたならば私にもできないことはない」という考えを起・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・三階、四階の青や朱で彩色した高楼が並んでいる。それが今はすっかり扉を閉め切って猫の仔一匹いない。一昨日そこへ行ってみた。どの家にも変な日本人が立ち番している。オヤオヤ! と思っていると、どこからか俺に声をかける奴がある。見ると撫順にいたこと・・・ 黒島伝治 「防備隊」
・・・骨董が黄金何枚何十枚、一郡一城、あるいは血みどろの悪戦の功労とも匹敵するようなことになった。換言すれば骨董は一種の不換紙幣のようなものになったので、そしてその不換紙幣の発行者は利休という訳になったようなものである。西郷が出したり大隈が出した・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・閨の審判を、どんなにきびしく排撃しても、しすぎることはない、と、とうとう私に確信させてしまったほどの功労者は、誰であったか。無智の洗濯女よ。妻は、職業でない。妻は、事務でない。ただ、すがれよ、頼れよ、わが腕の枕の細きが故か、猫の子一匹、いの・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・メキシコの銀貨に穴をあけて赤い絹紐を通し、家族に於いて、その一週間もっとも功労のあったものに、之を贈呈するという案である。誰も、あまり欲しがらなかった。その勲章をもらったが最後、その一週間は、家に在るとき必ず胸に吊り下げていなければいけない・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・としての蛆の功労は古くから知られていた。 戦場で負傷したきずに手当てをする余裕がなくて打っちゃらかしておくと、化膿してそれに蛆が繁殖する。その蛆がきれいに膿をなめつくしてきずが癒える。そういう場合のあることは昔からも知られていたであろう・・・ 寺田寅彦 「蛆の効用」
・・・立派な大廈高楼はどうも気楽そうに思われない。頼まれてもそういう所に住む気にはなれそうもない。しかしこの平板な野の森陰の小屋に日当たりのいい縁側なりヴェランダがあってそこに一年のうちの選ばれた数日を過ごすのはそんなに悪くはなさそうに思われた。・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
出典:青空文庫