・・・ しかしその電燈の光に照らされた夕刊の紙面を見渡しても、やはり私の憂鬱を慰むべく、世間は余りに平凡な出来事ばかりで持ち切っていた。講和問題、新婦新郎、涜職事件、死亡広告――私は隧道へはいった一瞬間、汽車の走っている方向が逆になったような・・・ 芥川竜之介 「蜜柑」
はしがき この小冊子は、明治二十七年七月相州箱根駅において開設せられしキリスト教徒第六夏期学校において述べし余の講話を、同校委員諸子の承諾を得てここに印刷に附せしものなり。 事、キリスト教と学生とにかんすること多し、しかれど・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・少なくともそこにはかわいた、煩鎖な概念的理窟や、腐儒的御用的講話や、すべて生の緑野から遊離した死骸のようなものはない。しかし文芸はその約束として個々の体験と事象との具象的描写を事とせねばならぬ故、人生全体としての指導原理の探究を目ざすことは・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・と思うからさ。どれどれ今日は三四日ぶりで家へ帰って、叔父さん叔父さんてあいつめが莞爾顔を見よう、さあ、もう一服やったら出掛けようぜ」と高話して、やがて去った。これを聞いていた源三はしくしくしくしくと泣き出したが、程立って力無げに悄然と岩の間・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・ビヤホールのラジオは、そのとき、大声で時局講話をやっていました。ふと、その声に耳をすまして考えてみると、どうも、これは聞き覚えのある声でございます。あいつでは無いかな? と思っていたら、果して、その講話のおわりにアナウンサアが、その、あいつ・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・こういう巧智はしかしことごとくが亀さんの独創によるものではなくて、大部分は重兵衛さんの晩酌時の講話の時に授かったものであった。重兵衛さんの寺子屋時代の悪戯にはずいぶん過劇なものもあったようである。 こういう、学校では教わらない悪戯教育も・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・それが食堂で夜ふけまで長時間続いていた傍若無人の高話がようやく少し静まりかけるころに始まるのが通例であった。波が荒れて動揺のすさまじい時だけはさすがにこの音も聞こえなかったが、そういう時にはまた船よいの苦悩がさらにはなはだしかった。 汽・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・西川一草亭の花道に関する講話の中に、投げ入れの生花がやはり元禄に始まったという事を発見しておもしろいと思った。生花はもちろん茶道、造園、能楽、画道、書道等に関する雑書も俳諧の研究には必要であると思う。たとえば世阿弥の「花伝書」や「申楽談義」・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・おもちゃその物の効果については時々教育家や心理学者の講話を新聞や雑誌で読んでみるが、具体的に何商店のどのおもちゃがいいという事を教えてくれないのは物足りない。実際買おうと思って見渡す時に、自分が安心してこれならと思う品がまことに少ない。こん・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・休憩する事前後二回、時を費す事三分五セコンドの後この偉大なる婆さんの得意なるべき顔面が苦し気に戸口にヌッと出現する、あたり近所は狭苦しきばかり也、この会見の栄を肩身狭くも双肩に荷える余に向って婆さんは媾和条件の第一款として命令的に左のごとく・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
出典:青空文庫