・・・ 火の粉かと見ると、こはいかに、大粒な雨が、一粒ずつ、粗く、疎に、巨石の面にかかって、ぱッと鼓草の花の散るように濡れたと思うと、松の梢を虚空から、ひらひらと降って、胸を掠めて、ひらりと金色に飜って落ちたのは鮒である。「火事じゃあねえ・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 右斜めに、鉾形の杉の大樹の、森々と虚空に茂った中に社がある。――こっちから、もう謹慎の意を表する状に、ついた杖を地から挙げ、胸へ片手をつけた。が、左の手は、ぶらんと落ちて、草摺の断れたような襤褸の袖の中に、肩から、ぐなりとそげている。・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ 二本の幟はたはたと飜り、虚空を落す天狗風。 蜘蛛の囲の虫晃々と輝いて、鏘然、珠玉の響あり。「幾干金ですか。」 般若の山伏がこう聞いた。その声の艶に媚かしいのを、神官は怪んだが、やがて三人とも仮装を脱いで、裸にして縷無き雪の・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・ 向った丘に、もみじの中に、昼の月、虚空に澄んで、月天の御堂があった。――幼い私は、人界の茸を忘れて、草がくれに、偏に世にも美しい人の姿を仰いでいた。 弁当に集った。吸筒の酒も開かれた。「関ちゃん――関ちゃん――」私の名を、――誰も・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・その青い火は、しかし私の魂がもう藻脱けて、虚空へ飛んで、倒に下の亡骸を覗いたのかも知れません。 が、その影が映すと、半ば埋れた私の身体は、ぱっと紫陽花に包まれたように、青く、藍に、群青になりました。 この山の上なる峠の茶屋を思い出す・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・私はちょっと其処へ掛けて、会釈で済ますつもりだったが、古畳で暑くるしい、せめてのおもてなしと、竹のずんど切の花活を持って、庭へ出直すと台所の前あたり、井戸があって、撥釣瓶の、釣瓶が、虚空へ飛んで猿のように撥ねていた。傍に青芒が一叢生茂り、桔・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・ 伶人の奏楽一順して、ヒュウと簫の音の虚空に響く時、柳の葉にちらちらと緋の袴がかかった。 群集は波を揉んで動揺を打った。 あれに真白な足が、と疑う、緋の袴は一段、階に劃られて、二条の紅の霞を曳きつつ、上紫に下萌黄なる、蝶鳥の刺繍・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ 霜風は蝋燭をはたはたと揺る、遠洋と書いたその目標から、濛々と洋の気が虚空に被さる。 里心が着くかして、寂しく二人ばかり立った客が、あとしざりになって……やがて、はらはらと急いで散った。 出刃を落した時、赫と顔の色に赤味を帯びて・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・ 小宮山は三蔵法師を攫われた悟空という格で、きょろきょろと四辺をみまわしておりましたが、頂は遠く、四辺は曠野、たとえ蝙蝠の翼に乗っても、虚空へ飛び上る法ではあるまい、瞬一つしきらぬ中、お雪の姿を隠したは、この家の内に相違ないぞ、這奴! ・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ 曲終れば、音を売るものの常として必ず笑み、必ず謙遜の言葉の二三を吐くなるに反して、彼は黙然として控え、今しもわが吹き終った音の虚空に消えゆく、消えゆきし、そのあとを逐うかと思わるるばかりであった。 自分は彼の言葉つき、その態度によ・・・ 国木田独歩 「女難」
出典:青空文庫