・・・ 黒板に何か書いたチョークを、両手の指先に持ち、眉間に一つ大きな黒子のある、表情の重味ある顔を、心持右か左に傾けながら、何方かと云うと速口な、然し聞とり易い落付いたアルトの声で、全心を注ぎ、講義された俤が、今に髣髴としている。 先生・・・ 宮本百合子 「弟子の心」
・・・岸田国士、福田恆存、三島由紀夫、木下順二そのほか相当の数の文学者たちの集団である。小説や評論の現在の状態に感じられている一種のゆきづまりを、「もっと広く、窓を外に開こうとする要求がみられているし」「芝居が文学の広い領域から栄養を摂らなければ・・・ 宮本百合子 「人間性・政治・文学(1)」
・・・四角ばって、頬骨の突出た骨相を彼も持ってはいるのだけれども、五十にやがて手が届こうとしている男だなどとはどうしても思えないほど若々しく真黒な瞳を慎ましく、けれどもちゃんと相手の顔に向けて、下瞼の大きな黒子を震わせながら、丁寧に口を利く彼の顔・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・翼賛会の初代の文化部長岸田国士、つづいて同じ位置についた高橋健二その他の人々は、文化の擁護のために何事もなさなかった。一九三〇年代のはじまりに「文学の純芸術性」を力説した菊池寛、中村武羅夫等の人々が、この時期に率先して文化の軍事的目的のため・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・例えば、岸田国士等によって言われている、演劇アカデミイの問題で村山知義氏は、基本的な技術を与えることでは、アカデミイも新しい演劇のために何物かを与えるであろうがと言っておられる。その基本的技術というのも、果してブルジョア的な新劇と、私たちが・・・ 宮本百合子 「一つの感想」
・・・林房雄氏は、真面目な文学者評論家は当今意識的に文壇を離れたがっている、と云い、岸田国士氏は文壇が重荷になっている、と明言しておられる。そして、文学が大衆性とか指導力とかを持つようになるためには、実業家・官吏・軍人等の真面目な要求と共通するも・・・ 宮本百合子 「文学における今日の日本的なるもの」
・・・ 緑色の仕着せを着た音楽隊はフィガロの婚礼を奏し、飾棚にロココの女の入黒子で流眄する。無数の下駄の歯の音が日本的騒音で石の床から硝子の円天井へ反響した。 エスカレータアで投げ上げられた群集は、大抵建物の拱廊から下を覗いた。八階から段・・・ 宮本百合子 「未開な風景」
・・・岸田国士氏は、日本人が列のきびしさを知らず、前へわりこまれてもそれを黙っていることを非難しておられた。これを逆に云えば、列というものは、それが列だからという理由で、見知らない人が見知らない人に向って、列からはみ出してはいけません。勝手に前へ・・・ 宮本百合子 「列のこころ」
・・・皆活板本で実記は続国史大系本である。翁草に興津が殉死したのは三斎の三回忌だとしてある。しかし同時にそれを万治寛文の頃としてあるのを見れば、これは何かの誤でなくてはならない。三斎の歿年から推せば、三回忌は慶安元年になるからである。そこで改めて・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・卒業論文には、国史は自分が畢生の事業として研究する積りでいるのだから、苛くも筆を著けたくないと云って、古代印度史の中から、「迦膩色迦王と仏典結集」と云う題を選んだ。これは阿輸迦王の事はこれまで問題になっていて、この王の事がまだ研究してなかっ・・・ 森鴎外 「かのように」
出典:青空文庫