一月二十二日。 日々の告白という題にしようつもりであったが、ふと、一日の労苦は一日にて足れり、という言葉を思い出し、そのまま、一日の労苦、と書きしたためた。 あたりまえの生活をしているのである。かくべつ報告したいこ・・・ 太宰治 「一日の労苦」
・・・ 夕方であったが、夜になって、的の黒白の輪が一つの灰色に見えるようになった時、女はようよう稽古を止めた。今まで逢った事も無いこの男が、女のためには古い親友のように思われた。「この位稽古しましたら、そろそろ人間の猟をしに出掛けられます・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・そうして顔をしかめ、髪をかきむしって、友人の前に告白のポオズ。ああ、おれは苦しい、と。あの人の夜霧に没する痩せたうしろ姿を見送り、私は両肩をしゃくって、くるりと廻れ右して、下宿に帰って来た。なにがなしに悲しい。女性とは、所詮、ある窮極点に立・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・正直な告白のつもりであります。 あなたは、たしか、私よりも十五年、早くお生れの筈であります。二十年前に、私が家を飛び出し、この東京に出て来て、「やまと新報」の配達をして居りました時、あなたの長篇小説「鶴」が、その新聞に連載せられていて、・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・悔恨、告白、反省、そんなものから、近代文学が、いや、近代精神が生れた筈なんですね。だから、――」また、どもってしまった。「なるほど、」と相手も乗り出して来て、「そんな潮流が、いま文壇に無くなってしまったのですね。それじゃ、あなたは梶井基・・・ 太宰治 「鴎」
・・・いずれ、逢えば、すべての黒白は、つく筈だ。それにしても、私のこの不愉快さは、どうしてくれる。見知らぬ他人から、兄さん、おなつかしゅう、など言われて、ふざけた話だ。いやらしい。なまぬるく、べとべとして、喜劇にもならない。無智である。安っぽい。・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
なんにも書くな。なんにも読むな。なんにも思うな。ただ、生きて在れ! 太古のすがた、そのままの蒼空。みんなも、この蒼空にだまされぬがいい。これほど人間に酷薄なすがたがないのだ。おまえは、私に一箇の銅貨を・・・ 太宰治 「めくら草紙」
・・・のこっているものは、蒼空の如き太古のすがたとどめたる汚れなき愛情と、――それから、もっとも酷薄にして、もっとも気永なる復讐心。放心について 森羅万象の美に切りまくられ踏みつけられ、舌を焼いたり、胸を焦がしたり、男ひとり、よろ・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・気がかりということに就いて 気がかりということに、黒白の二種、たしかにあることを知る。なにわぶしの語句、「あした待たるる宝船。」と、プウシキンの詩句、「あたしは、あした殺される。」とは、心のときめきに於いては同じようにも思わ・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・柱などを巻いた布が黒白のだんだらになっているところを見ると何かしら厳かな儀式でもあるように思われる。このようにして人夫等が大勢かかって、やっとそれが出来上がったと思う間もなく式が終って、またすぐに取りくずさなければならないであろう。 博・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
出典:青空文庫