・・・ 高瀬は戸口に立って眺めていた。 無邪気な学生等は学士の机の周囲に集って、口を開くやら眼を円くするやらした。学士がそのコップの中へ鳥か鼠を入れると直ぐに死ぬという話をすると、それを聞いた生徒の一人がすっくと起立った。「先生、虫じ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・どうかするとある家の前で立ち留まって戸口や窓の方を見ることがあったが、間もなく、最初は緩々と、そのうちにまた以前のような早足になって、人々の群に付いて来たのである。その間老人は、いつも右の手をずぼんの隠しに入れて、その中にある貨幣を勘定して・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・ウイリイは、その朝早く起きて窓の外を見ますと、家の戸口のまん前に、昨日までそんなものは何にもなかったのに、いつのまにか、きれいな小さな家が出来ていました。ふた親もおどろいて出て見ました。上から下まできれいな彫り飾りがついたりしていて、ウイリ・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・じめな、たいへん厳格で律儀なものをさえ、どこかに隠し持っていましたが、それでも趣味として、むかしフランスに流行したとかいう粋紳士風、または鬼面毒笑風を信奉している様子らしく、むやみやたらに人を軽蔑し、孤高を装って居りました。長兄は、もう結婚・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・けさ私は、岩風呂でないほうの、洋式のモダン風呂のほうへ顔を洗いに行って、脱衣場の窓からひょいと、外を見るとすぐ鼻の先に宿屋の大きい土蔵があってその戸口が開け放されているので薄暗い土蔵の奥まで見えるのですが、土蔵の窓から桐の葉の青い影がはいっ・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・ろくな仕事もしていない癖に、その生活に於いて孤高を装い、卑屈に拗ねて安易に絶望と虚無を口にして、ひたすら魅力ある風格を衒い、ひとを笑わせ自分もでれでれ甘えて恐悦がっているような詩人を、自分は、底知れぬほど軽蔑しています。卑怯であると思う。横・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・大町桂月、福本日南等と交友あり、桂月を罵って、仙をてらう、と云いつつ、おのれも某伯、某男、某子等の知遇を受け、熱烈な皇室中心主義者、いっこくな官吏、孤高狷介、読書、追及、倦まざる史家、癇癪持の父親として一生を終りました。十三歳の時です。その・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・そのとしの二科の画は、新聞社から賞さえもらって、その新聞には、何だか恥ずかしくて言えないような最大級の讃辞が並べられて居りました。孤高、清貧、思索、憂愁、祈り、シャヴァンヌ、その他いろいろございました。あなたは、あとでお客様とその新聞の記事・・・ 太宰治 「きりぎりす」
・・・兄は、一点非なき賢王として、カイザアたる孤高の宿命に聡くも殉ぜむとする凄烈の覚悟を有し、せめて、わがひとりの妹、アグリパイナにこそ、まこと人らしき自由を得させたいものと、無言の庇護を怠らなかった。 アグリパイナの男性侮辱は、きわめて自然・・・ 太宰治 「古典風」
・・・昨年の晩秋、ヨオゼフ・シゲティというブダペスト生れのヴァイオリンの名手が日本へやって来て、日比谷の公会堂で三度ほど演奏会をひらいたが、三度が三度ともたいへんな不人気であった。孤高狷介のこの四十歳の天才は、憤ってしまって、東京朝日新聞へ一文を・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
出典:青空文庫