・・・ その歯科医院は古びたしもた家で、二階に治療機械を備えつけてあるのだが、いかにも煤ぼけて、天井がむやみに低く、機械の先が天井にすれすれになっていて、恐らく医者はこごみながら、しばしば頭を打っつけながら治療するのではないかと思われる。看板・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・あのときと、同じ姿勢で、少しまえこごみの姿勢で、ソファに深く腰をおろし、いま、高須隆哉は、八重田数枝と、ウイスキイ呑みながら、ひそひそ話を交している。ソファの傍には、八つ手の鉢植、むかしのままに、ばさと葉をひろげて、乙彦が無心に爪で千切りと・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・ときどきつれの小娘に肩をよせてから前こごみになってひびかせる笑い声が、三吉をあわてさせるのであるが、そしてきょうもとうとう土堤道のある地点にくるまで、声をかけるどころか、歩いているかんかくをちぢめることさえ出来なかった。 彼女たちはそこ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・私の頭には、痩せた屈み腰の学生服を着た岩元君をしか想像することはできない。私は始終鎌倉に来るようになってから、一度同君を尋ねて見たいと思っていた。しかし今度こそはと思いながら、無精な私はいつも奮発できなかった。その中、同君の逝去せられたのを・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・わたくしも屈みました。 そのときわたくしは一つの花のあかしから、も一つの花へ移って行く黒い小さな蜂を見ました。「ああ、蜂が、ごらん、さっきからぶんぶんふるえているのは、月が出たので蜂が働きだしたのだよ。ごらん、もう野原いっぱい蜂がい・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・ 祖母は、赤漆で秋の熟柿を描いた角火鉢の傍に坐り、煙管などわざとこごみかかって弄りながら云う。「近頃ははあ眼も見えなくなって、糸を通すに縫うほどもかかるごんだ。ちっとは役に立ちたいと思って来たが、おれもはあこうなっては仕様がない。―・・・ 宮本百合子 「祖母のために」
・・・弁当をぶらさげた職人や御役人さまというみじめな名にとりこになって居る人間達が道に落ちてるゴミ一本でもためになればのがさずひろって行くという様な前っこごみのいやな風をして歩いて行くのが見える。つくづく自分ののんきさがうれしく思われる。 親・・・ 宮本百合子 「芽生」
出典:青空文庫