・・・『古事記』に現われた色々の歌謡の音数排列を調べてみるとかなり複雑なものがあって到底容易には簡単な方則を見つけるわけに行かない。九、十、十一、十二、十四等の音から成る詩句が色々に重畳しているというだけしか分りかねる。ただこういうものからだ・・・ 寺田寅彦 「短歌の詩形」
・・・その余韻の源にさかのぼって行くと徳川時代などを突き抜けて遠い遠い古事記などの時代に到着する。 盆踊りのまだ行なわれている所があればそこにはどこかに奈良朝以前の民族の血が若い人たちのからだに流れているような気がしてしかたがない。そうしてそ・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
・・・ 昔は鹿や猿がずいぶん多くて狩猟の獲物を豊富に供給したらしいことは、たとえば古事記の雄略天皇のみ代からも伝わっている。しかし人口の増殖とともに獲物が割合に乏しくなり、その事が農業の発達に反映したということも可能である。それが仏教の渡来と・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・ 古い昔の短い詩形はかなり区々なものであったらしい、という事は古事記などを見ても想像される。それがだんだんに三十一文字の短歌形式に固定して来たのは、やはり一種の自然淘汰の結果であって、それが当時の環境に最もよく適応するものであったためで・・・ 寺田寅彦 「俳句の型式とその進化」
・・・たとえば万葉や古事記の歌でも源氏や枕草子のような読み物でも、もしそのつもりで捜せばそれらの中にある俳句的要素とでも名づけられるようなものを拾い出すことは決してそれほど困難ではあるまいと思われる。 ここで自分がかりに俳句的要素とかいう名前・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・もちろんパラソルにかくれた顔がだれだからというのではなくて、若い女一般にたいしてはずかしい。乞食のような風ていも、竹びしゃくつくりもはずかしい。「けがしたかい?」 そばにならんですわって、竹ばしをけずっている母親が、びっくりしてきく・・・ 徳永直 「白い道」
・・・宿なしの乞食でさえも眠るにはなお橋の下を求めるではないか。厭な客衆の勤めには傾城をして引過ぎの情夫を許してやらねばならぬ。先生は現代生活の仮面をなるべく巧に被りおおせるためには、人知れずそれをぬぎ捨てべき楽屋を必要としたのである。昔より大隠・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・御承知の大雅堂でも今でこそ大した画工であるがその当時毫も世間向の画をかかなかったために生涯真葛が原の陋居に潜んでまるで乞食と同じ一生を送りました。仏蘭西のミレーも生きている間は常に物質的の窮乏に苦しめられていました。またこれは個人の例ではな・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・オルカニヤの作といい伝えている画に、死の神が老若男女、あらゆる種々の人を捕え来りて、帝王も乞食もみな一堆の中に積み重ねているのがある、栄辱得失もここに至っては一場の夢に過ぎない。また世の中の幸福という点より見ても、生延びたのが幸であったろう・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・と、善吉はしばらく黙して、「宿なしになッちあア、夫婦揃ッて乞食にもなれないから、生家へ返してしまッたんだがね……。ははははは」と、善吉は笑いながら涙を拭いた。「まアお可哀そうに」と、吉里もうつむいて歎息する。「だがね、吉里さん、私し・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
出典:青空文庫