・・・彼が見しこと聞きしこと時に触れ物に触れて、残さず余さずこれを歌にしたるは、杜甫が自己の経歴を詳に詩に作りたると相似たり。古人が杜詩を詩史と称えし例に傚わば曙覧の歌を歌史ともいうべきか。余が歌集によりてその人の事蹟と性行とを知り得たるもその歌・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・景勝を書くのを目的としたものや、地理地形を書くことを目的としたものや、風俗習慣を書くことを目的としたものや、あるいはその地の政治経済教育の有様より物産に至るまで細かに記する事を目的としたもの、あるいは個人的に旅行の里程、車馬の賃、宿泊料など・・・ 正岡子規 「徒歩旅行を読む」
・・・然もこれ未だ社会的に無力なる、各個人個人に於てである。然るに今日は既にビジテリアン同情派の堅き結束を見、その光輝ある八面体の結晶とも云うべきビジテリアン大祭を、この清澄なるニュウファウンドランド島、九月の気圏の底に於て析出した。殊にこの大祭・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・土耳古人たちは、みんなまっ赤なターバンと帯とをかけ、殊に地学博士はあちこちからの勲章やメタルを、その漆黒の上着にかけましたので全くまばゆい位でした。私は三越でこさえた白い麻のフロックコートを着ましたが、これは勿論、私の好みで作法ではありませ・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・多くの人々が、この問題の本質上、今日ではもう個人的解決の時期を全くすぎていて、これは人民的規模において、男女共通に、共通の方法に参加して、各種の管理委員会をこしらえて、自主的な圧力で改善してゆくことに決心したら、どんなに早く、解決の緒につく・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
・・・ 蒙古人の村はどこでも犬が多いな。――…… 列車は修繕のために二時間以上雪の中にとまっていた。 ほとんど終日、アムール河の上流シグハ川に沿うて走る。雪、深し。灌木地帯で、常磐木は見えない。山がある。民家はシベリアとは違い薄い板屋・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・ 翌朝、下六番町の邸に告別式に列し、焼香も終って、じっと白花につつまれた故人の写真を見たら、思わず涙にむせび、声を押えることが出来なかった。彼の温容が心を打ったこと、並、人生の切なさ、恐ろしさ、平凡の底に湛えた切迫さ、真剣さを、一時に感・・・ 宮本百合子 「有島武郎の死によせて」
・・・ 命を奪われるほど悪人でなかった故人。むしろ弱点も人間的といえた故人。国鉄五十万人と運命をともにした故人。世間に暗い衝撃を与えることは、故人の望むところでなかったろう。自殺と直感した、といわれたときこそその人の妻らしい悲しみのありかたと・・・ 宮本百合子 「権力の悲劇」
・・・芥川、池谷、千葉賞のように、故人となった文学者の記念のための文学賞ばかりか、農民文学には有馬賞というのがあり、中河与一氏の尽力によって成立してその第一回受賞者は中河氏であった、大倉出資の透谷賞というのもあるようになった。 今度の事変が、・・・ 宮本百合子 「今日の文学と文学賞」
・・・ところが、書類の上でその人は故人である。まず生き還ってから、戸籍の上に存在するという手続きを経てから選挙手続きも改めてとらなければならない。これらの人々の一票は投票箱に落ちる時人生のどんな響きを立てることだろう。ドストイェフスキイは、ロシア・・・ 宮本百合子 「青年の生きる道」
出典:青空文庫