・・・友は中庭の美事なる薔薇数輪を手折りて、手土産に与えんとするを、この主人の固辞して曰く、野菜ならばもらってもよい。以て全豹を推すべし。かの剣聖が武具の他の一切の道具をしりぞけし一すじの精進の心と似て非なること明白なり。なおまた、この男には当分・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・以前は、私にとって、世評は生活の全部であり、それゆえに、おっかなくて、ことさらにそれに無関心を装い、それへの反撥で、かえって私は猛りたち、人が右と言えば、意味なく左に踏み迷い、そこにおのれの高さを誇示しようと努めたものだ。けれども今は、どん・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・私は、火鉢をまえにして坐って、火箸で火をかきまわし、「ここへ坐りたまえ。まだ、火がある。」「え。」どろぼうは、きちんと膝をそろえてかしこまって坐った様子である。「少し、火鉢から、はなれて坐っていたほうがいいかも知れないな。」私は、い・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・いたずらに奢侈の風を誇りしに過ぎざるていたらくなれば、未だ以て真誠の茶道を解するものとは称し難く、降って義政公の時代に及び、珠光なるもの出でて初めて台子真行の法を講じ、之を紹鴎に伝え、紹鴎また之を利休居士に伝授申候事、ものの本に相見え申候。・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・(火箸で埋火を掻でも、田舎では、こんな事は珍らしくないんでしょう? 田舎の、普通の、恋愛形式になっているのね、きっと。夜這いとかいう事なんじゃないの? とんでもない、そんな、私は、決して、そんな、失礼な。いいえ、そうでなかったら、か・・・ 太宰治 「冬の花火」
・・・検校の位階を固辞す。金銭だに納付せば位階は容易に得べき当時の風習をきたなきものに思い、位階は金銭を以て購うべきものにあらずとて、死ぬるまで一勾当の身上にて足れりとした。天保十一年、竹琴を発明し、のち京に上りて、その製造を琴屋に命じたところが・・・ 太宰治 「盲人独笑」
・・・と銘題打って、ひろく世に誇示なされる迄は、わずかに琴の上手として一地方にのみ知られていただけのものでは無かったかと思う。それが、今では、人名辞典を開けば、すなわち「葛原勾当」の項が、ちゃんと出ているのであるから、故勾当も、よいお孫を得られて・・・ 太宰治 「盲人独笑」
・・・三度固辞して動かず。鴎は、あれは唖の鳥です。天を相手にせよ。ジッドは、お金持なんだろう? すべて、のらくら者の言い抜けである。私は、実際、恥かしい。苦しさも、へったくれもない。なぜ、書かないのか。実は、少しからだの工合いおかしいのでして・・・ 太宰治 「懶惰の歌留多」
・・・長女は、私にはとてもその資格がありませんからと固辞して利巧に逃げている。殊に次男は、その勲章を自分の引出しにしまい込んで、落したと嘘をついた事さえある。祖父は、たちまち次男の嘘を看破し、次女に命じて、次男の部屋を捜査させた。次女は、運わるく・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・ 四 紅雀 年を取った独身の兄と妹が孤児院の女の児を引取って育てる。その娘が大きくなって恋をする、といったような甘い通俗的な人情映画であるが、しかし映画的の取扱いがわりにさらさらとして見ていて気持のいい、何かしら美・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
出典:青空文庫