・・・ 北海道人、特に小樽人の特色は何であるかと問われたなら、予は躊躇もなく答える。曰く、執着心のないことだと。執着心がないからして都府としての公共的な事業が発達しないとケナス人もあるが、予は、この一事ならずんばさらに他の一事、この地にてなし・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・魔とも、妖怪変化とも、もしこれが通魔なら、あの火をしめす宮奴が気絶をしないで堪えるものか。で、般若は一挺の斧を提げ、天狗は注連結いたる半弓に矢を取添え、狐は腰に一口の太刀を佩く。 中に荒縄の太いので、笈摺めかいて、灯した角行燈を荷ったの・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・ちっと、へい、応えるぞ。ううむ、そうだ。まだだまだだ。夫人 これでもかい。これでもかい、畜生。人形使 そ、そんな、尻べたや、土性骨ばかりでは埒明かねえ、頭も耳も構わずと打叩くんだ。夫人 畜生、畜生、畜生。(自分を制せず、魔に魅入・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・省作は例のごとくただにこりの笑いで答える。やがて八人用意整えて目的地に出かける。おとよさんとおはまの風はたしかに人目にとまるのである。まアきれいな稲刈りだこととほめるものもあれば、いやにつくってるなアとあざけるものもある。おはまのやつが省作・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ というから、お児ちゃん、おやとりがどうしたかと聞くと、お児ちゃんはおやとりっち言葉をこのごろ覚えたからそういうのだと梅子が答える。奈々子は大きい下駄に疲れたらしく、「お児ちゃんのかんこ、お児ちゃんのかんこ」 といい出した。お児・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・と、僕が答えるとたん、から紙が開いて、細君が熱そうなお燗を持って出て来たが、大津生れの愛嬌者だけに、「えろうお気の毒さまどすこと」と、自分は亭主に角のない皮肉をあびせかけ、銚子を僕に向けて、「まア、一杯どうどす?――うちの人は、いつ・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・女優に仕立てるには年が行き過ぎているし、一度芸者をしたものには、到底、舞台上の練習の困難に堪える気力がなかろう。むしろ断然関係を断つ方が僕のためだという忠告だ。僕の心の奥が絶えず語っていたところと寸分も違わない。 しかし、僕も男だ、体面・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・此質問一ヵ条を持出して、『目録は出来ていません』と答えると直ぐ『さよなら』と帰って了った。 見舞人は続々来た。受附の店員は代る/″\に頭を下げていた。丁度印刷が出来て来た答礼の葉書の上書きを五人の店員が精々と書いていた。其間に広告屋が来・・・ 内田魯庵 「灰燼十万巻」
・・・そして、休み時間になったときに、彼は、いつも、はっきりと先生に、問われたことを答える、小田に向かって、「やまがらに、僕は、お湯をやったんだよ。」と、吉雄はいいました。「お湯をやったのかい。」と、小田は、目を円くして問いました。「・・・ 小川未明 「ある日の先生と子供」
・・・それから、松蔵は、小さな体で堪えるだけの仕事はなんでもしました。工場にいっても働けば、家にいても働き、また、他人の家へ雇われていっても働きました。寒い冬の夜も、また、暑い夏の日盛りもいとわずに働きました。そして、自分の家のために尽くしました・・・ 小川未明 「海のかなた」
出典:青空文庫