・・・歳暮大売出しの楽隊の音、目まぐるしい仁丹の広告電燈、クリスマスを祝う杉の葉の飾、蜘蛛手に張った万国国旗、飾窓の中のサンタ・クロス、露店に並んだ絵葉書や日暦――すべてのものがお君さんの眼には、壮大な恋愛の歓喜をうたいながら、世界のはてまでも燦・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・家々の窓からは花輪や国旗やリボンやが風にひるがえって愉快な音楽の声で町中がどよめきわたります。燕はちょこなんと王子の肩にすわって、今馬車が来たとか今小児が万歳をやっているとか、美しい着物の坊様が見えたとか、背の高い武士が歩いて来るとか、詩人・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・通りの海添いに立って見ると、真青な海の上に軍艦だの商船だのが一ぱいならんでいて、煙突から煙の出ているのや、檣から檣へ万国旗をかけわたしたのやがあって、眼がいたいように綺麗でした。僕はよく岸に立ってその景色を見渡して、家に帰ると、覚えているだ・・・ 有島武郎 「一房の葡萄」
・・・人間は、善美の理想に向って、克己奮闘する時こそ、進歩も向上も見られるけれど、雷同し、隷属化された時は、自分自身の行くべき道すら見失うものであります。 人生の進路も、生活の形態も、一元的に決定することはできないであろう。故に、一つの主義が・・・ 小川未明 「文化線の低下」
・・・六畳の部屋いっぱいにお襁褓を万国旗のように吊るした。 お君はしげしげと豹一のところへやってきた。火鉢の上でお襁褓を乾かしながら、二十歳で父となった豹一と三十八歳で孫をもったお君は朗かに笑い合った。安二郎から、はよ帰ってこいと迎えが来ると・・・ 織田作之助 「雨」
・・・そのため彼等はやがて高等文官試験に合格した日、下宿の娘の誘惑に陥らないような克己心を養うことに、不断の努力をはらっていた。もっとも手ぐらいは握っても、それ以上の振舞いに出なければ構わぬだろうという現金な考えを持っていたかも知れない。 何・・・ 織田作之助 「髪」
・・・アメリカの禁酒法案が通過して、あのように長く行なわれたのも、婦人の道徳性の内からの支配力がどんなに強いかの証拠であって、男子にとっては実はこれは容易でない克己がいるので、苦い顔をしながらも、どうも婦人のいうことをきかずにはおれぬのである。そ・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・ 実際、いかに絶大の権力を有し、百万の富を擁して、その衣食住はほとんど完全の域に達している人びとでも、またかの律僧や禅家などのごとく、その養生のためには常人の堪えるあたわざる克己・禁欲・苦行・努力の生活をなす人びとでも、病なくして死ぬの・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ 実際如何に絶大の権力を有し、巨万の富を擁して、其衣食住は殆ど完全の域に達して居る人々でも、又た彼の律僧や禅家などの如く、其の養生の為めには常人の堪ゆる能わざる克己・禁欲・苦行・努力の生活を為す人々でも、病いなくして死ぬのは極めて尠いの・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・兄は、自動車の窓から、街の奉祝の有様を、むさぼるように眺めていた。国旗の洪水である。おさえにおさえて、どっと爆発した歓喜の情が、よくわかるのである。バンザイ以外に、表現が無い。しばらくして兄は、「よかった!」と一言、小さい声で呟いて、深・・・ 太宰治 「一燈」
出典:青空文庫