・・・間もなく、娘が、綾と絹とを小脇にかかえて、息を切らしながら、塔の戸口をこっそり、忍び出た時には、尼はもう、口もきかないようになって居りました。これは、後で聞いたのでございますが、死骸は、鼻から血を少し出して、頭から砂金を浴びせられたまま、薄・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・――それが、まだ一番鶏も鳴かないのに、こっそり床をぬけ出して、酒臭い唇に、一切衆生皆成仏道の妙経を読誦しようとするのである。…… 阿闍梨は褊袗の襟を正して、専念に経を読んだ。 それが、どのくらいつづいたかわからない。が、暫くすると、・・・ 芥川竜之介 「道祖問答」
・・・ もしおとよさんが、こっそり湯端へきて何とか言ったらどうしよう。こう思うと気味が悪くて恐ろしくて、腹がわくわくする。省作はまた耳がほかほかしてきた。行かない方がえいなア。あアゆくまいゆくまい。こう口の底でいうて見る。ゆきたい心はかえって・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ 香具師は、どこから聞き込んできたものか、または、いつ娘の姿を見て、ほんとうの人間ではない、じつに世に珍しい人魚であることを見抜いたものか、ある日のこと、こっそりと年寄り夫婦のところへやってきて、娘にはわからないように、大金を出すから、・・・ 小川未明 「赤いろうそくと人魚」
・・・ 香具師は、何処から聞き込んで来ましたか、または、いつ娘の姿を見て、ほんとうの人間ではない、実に世にも珍らしい人魚であることを見抜きましたか、ある日のことこっそりと年より夫婦の処へやって来て、娘には分らないように、大金を出すから、その人・・・ 小川未明 「赤い蝋燭と人魚」
・・・一つには昼間おきみ婆さんに貰った飴をこっそり一人内緒で食べたいのです。一人内緒という言葉を教えてくれたのもおきみ婆さんでした。浜子は近ごろ父との夫婦仲が思わしくないためかだんだん険の出てきた声で、――何や、けったいな子やなア。ほな、十吉はう・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・豹一は同級生がこっそり出していた恋文を紀代子からむりやりに奪い取って、それを教室で朗読した。鉄拳制裁を受けた。なおそれが教師に知れて一週間の停学処分になった。 同級生に憎まれながらやがて四年生の冬、京都高等学校の入学試験を受けて、苦・・・ 織田作之助 「雨」
・・・それは兵卒に配給すべきものの一部をこっそり取っておいたものだった。彼は、それを持って丘を登り、そして丘を向うへ下った。 三十分ほどたつと、彼は手ぶらで、悄然と反対の方から丘を登り、それから、兵営へ丘を下って帰って来た。ほかの者たちは、ま・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・そして、こっそり小さい円るい鏡に写してみた。すると急に自分の顔が罪人になって見えてきた。俺は急いで鏡を机の上に伏せてしまった。 雑役が用事の最後に、ニヤ/\笑いながら云った。「お前さん今度が初めてだね。これで一通りの道具はちゃアんと・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・そうすると、王女はこっそりどこかへ遁げてしまって、それなり行く方がわからなくなりました。王さまは方々へ人を出してさんざんお探しになりましたが、とうとうしまいまで見附りませんでした。王さまはその王女でなくてはどうしてもおいやなので、それなり今・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
出典:青空文庫