・・・』『ここで聴いていたのよ、そして頭が痛くって……』と顔をしかめて頭をこつこつと軽くたたく。『奥へ行って、寝みな、寝てたッて聞こえるよ。』母親は心配そうに言う。それでもお梅は返事をしないでそのまま蹲居でいた。そのうち三切りめが初まると・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・ 自分は立膝をして、物尺を持って針山の針をこつこつ叩いて、順々に少しずつ引っこませていたが、ふと叩きすぎて、一本の針を頭も見えないようにしてしまう。幸にそれにはちょっとした糸がついていたので、ぐいとその糸を引くと、針はすらりと抜ける。・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・歩いても歩いても、こつこつの固い道である。右手は岩山であって、すぐ左手には粗い胡麻石が殆ど垂直にそそり立っているのだ。そのあいだに、いま私の歩いている此の道が、六尺ほどの幅で、坦々とつづいている。 道のつきるところまで歩こう。言うすべも・・・ 太宰治 「猿ヶ島」
・・・家の前庭のおおきい栗の木のしたにテエブルと椅子を持ちだし、こつこつと長編小説を書きはじめた。彼のこのようなしぐさは、自然である。それについては諸君にも心あたりがないとは言わせぬ。題を「鶴」とした。天才の誕生からその悲劇的な末路にいたるまでの・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・二階の六畳に閉じこもって、原稿用紙、少し書きかけては、くしゃくしゃに丸めて壁に投げつけ、寝ころんで煙草吸ったり、また起き上って、こつこつ書いたり、毎夜、おそくまで、眠らずにいる。何か大きい仕事にでも、とりかかった様子である。さちよも、なまけ・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・私は、まのわるい思いがして、なんの符号であろうか客車の横腹へしろいペンキで小さく書かれてあるスハフ 134273 という文字のあたりをこつこつと洋傘の柄でたたいたものだ。 テツさんと妻は天候について二言三言話し合った。その対話がすんで了・・・ 太宰治 「列車」
・・・長い間人目につかない所でこつこつ勉強して力を養っていた人間がある日の運命のあけぼのに突然世間に顔を出すようなものである。 ネオンサインもあっちこっちとむやみにふえるが、このほうは建築とちがって一夜にでもわずかな費用で取り付けられる。その・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・始めのうちは振動の問題や海の色の問題や、ともかくも見たところあまり先端的でない、新しがり屋に言わせれば、いわゆる古色蒼然たる問題を、自分だけはおもしろそうにこつこつとやっていた。しかし彼の古いティンダル効果の研究はいつのまにか現在物理学の前・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・ どこを見ても白チョークでも塗ったような静かな道を、私は莨をふかしながら、かなり歯の低くなった日和下駄をはいて、彼と並んでこつこつ歩いた。そこは床屋とか洗濯屋とかパン屋とか雑貨店などのある町筋であった。中には宏大な門構えの屋敷も目につい・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・幾らやかましい小言を云われても個人的にこつこつやって行くのが原則になっています。しかもその個人が気の向いた時でなければけっして働けない。また働かないというはなはだわがままな自己本位の家業になっている。だから朝七時から十二時まで働かなければな・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
出典:青空文庫