・・・動坂から電車に乗って、上野で乗換えて、序に琳琅閣へよって、古本をひやかして、やっと本郷の久米の所へ行った。すると南町へ行って、留守だと云うから本郷通りの古本屋を根気よく一軒一軒まわって歩いて、横文字の本を二三冊買って、それから南町へ行くつも・・・ 芥川竜之介 「田端日記」
・・・「私が学校で要る教科書が買えなかったので、親仁が思切って、阿母の記念の錦絵を、古本屋に売ったのを、平さんが買戻して、蔵っといてくれた。その絵の事だよ。」 時雨の雲の暗い晩、寂しい水菜で夕餉が済む、と箸も下に置かぬ前から、織次はどうし・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ これから見ても、和本は、出版の部数は少なかったけれど、これを求めた人は愛玩し、また、古本となって、露店へ出ても、買った人は大事にして、本箱に樟脳をいれたりして、永久に保存したでありましょう。この場合、他の骨董品と同じく、数が少なければ・・・ 小川未明 「書を愛して書を持たず」
・・・僕は京都へ行って、手当り次第に古本を買い占めようと思ったんだよ。旧券で買い占めて置いて、新券になったら、読みもしないで、べつの古本屋へ売り飛ばすんだ」「なるほど、一万円で買うて三割引で売っても七千円の新券がはいるわけだな」「しかし、・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・Kは小言を並べながらも、金の無い時には古本や古着古靴などまで持たして寄越した。彼は帰って来て、「そうらお土産……」と、赤い顔する細君の前へ押遣るのであった。(何処からか、救いのお使者がありそうなものだ。自分は大した贅沢な生活を望んで居るので・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・惣治は一本一本床の間の釘へかけて、価額表の小本と照し合わせていちいち説明して聴かせた。「この周文の山水というのは、こいつは怪しいものだ。これがまた真物だったら一本で二千円もするんだが、これは叔父さんさえそう言っていたほどだからむろんだめ・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・途中まで来ると下男が迎えに来るのに逢いましたが、家に帰ると叔母と母とに叱られて、籠を井戸ばたに投げ出したまま、衣服を着更えすぐ物置のような二階の一室に入り小さくなって、源平盛衰記の古本を出して画を見たものです。 けれども母と叔母はさしむ・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・ 古本を猟ることはこの節彼が見つけた慰藉の一つであった。これ程費用が少くて快楽の多いものはなかろう、とは持論である。その日も例のように錦町から小川町の通りへ出た。そこここと尋ねあぐんで、やがてぶらぶら裏神保町まで歩いて行くと、軒を並べた・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・と言って救いを求めるもの、私たちの家へ来るまでに二日も食わなかったというもの、そういう人たちを見るたびに私は自分の腰に巻きつけた帯の間から蝦蟇口を取り出して金を分けることもあり、自分の部屋の押入れから古本を取り出して来て持たせてやることもあ・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・セーヌ河畔の釣り人や、古本店、リュクサンブールの人形芝居、美術学生のネクタイ、蛙の料理にもどこかに俳諧のひとしずくはある。この俳諧がこの国の基礎科学にドイツ人の及ばない独自な光彩を与え、この国の芸術に特有な新鮮味を添えているのではないかとも・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
出典:青空文庫