・・・ オルガンティノは寂しそうに、砂の赤い小径を歩きながら、ぼんやり追憶に耽っていた。羅馬の大本山、リスポアの港、羅面琴の音、巴旦杏の味、「御主、わがアニマの鏡」の歌――そう云う思い出はいつのまにか、この紅毛の沙門の心へ、懐郷の悲しみを運ん・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・坊ちゃんも、――坊ちゃんは小径の砂利を拾うと、力一ぱい白へ投げつけました。「畜生! まだ愚図愚図しているな。これでもか? これでもか?」砂利は続けさまに飛んで来ました。中には白の耳のつけ根へ、血の滲むくらい当ったのもあります。白はとうと・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・ 彼は鶺鴒の云うなり次第に、砂利を敷いた小径を歩いて行った。が、鶺鴒はどう思ったか、突然また空へ躍り上った。その代り背の高い機関兵が一人、小径をこちらへ歩いて来た。保吉はこの機関兵の顔にどこか見覚えのある心もちがした。機関兵はやはり敬礼・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・水の垂りそうな、しかしその貞淑を思わせる初々しい、高等な高島田に、鼈甲を端正と堅く挿した風采は、桃の小道を駕籠で遣りたい。嫁に行こうとする女であった。…… 指の細く白いのに、紅いと、緑なのと、指環二つ嵌めた手を下に、三指ついた状に、裾模・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・二 さよ子は、草原の中につづいている小径の上にたたずんでは、幾たびとなく耳を傾けました。西の方の空には、日が沈んだ後の雲がほんのりとうす赤かった。さよ子は、電車の往来しているにぎやかな町にきましたときに、そのあたりの騒がしさ・・・ 小川未明 「青い時計台」
・・・ 右肩下りの背中のあとについて、谷ぞいの小径を歩きだした。 しかし、ものの二十間も行かぬうちに、案内すると見せかけた客引きは、押していた自転車に飛び乗って、「失礼しやして、お先にやらしていただきやんす。お部屋の用意をしてお待ち申・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・その柵と池の間の小径を行くのだが、二人並んで歩けぬくらい狭く、生い茂った雑草が夜露に濡れ、泥濘もあるので、草履はすぐべとべとになり、うっかり踏み外すと池の中へすべり落ちてしまう。暗い。摺り足で進まねばならなかった。いきなり足を蹴るものがある・・・ 織田作之助 「道」
・・・です、それこそ今のおかたには想像にも及ばぬことで、じゃんと就業の鐘が鳴る、それが田や林や、畑を越えて響く、それ鐘がと素人下宿を上ぞうりのまま飛び出す、田んぼの小道で肥えをかついだ百姓に道を譲ってもらうなどいうありさまでした。 ある日樋口・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・堅田隧道の前を左に小径をきり坂を越ゆれば一軒の農家、山の麓にあり。一個の男、一個の妻、二個の少女麦の肥料を丸めいたり。少年あり、藁を積み重ねし間より頭を出して四人の者が余念なく仕事するを余念なくながめいたり。渡頭を渡りて広き野に出ず。野は麦・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・上州の新町にて汽車を下り、藤岡より鬼石にかかり、渡良瀬川を渡りて秩父に入るの一路もまた小径にあらざれど、東京よりせんにはあまりに迂遠かるべし。我野、川越、熊谷、深谷、本庄、新町以上合せて六路の中、熊谷よりする路こそ大方は荒川に沿いたれば、我・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
出典:青空文庫