・・・が、私は殊に、如何なる悲しみをもおのずから堪える、あわれにも勇ましい久米正雄をば、こよなく嬉しく思うものである。 この久米はもう弱気ではない。そしてその輝かしい微苦笑には、本来の素質に鍛錬を加えた、大いなる才人の強気しか見えない。更に又・・・ 芥川竜之介 「久米正雄」
・・・彼女は、家兎の目を宿して、この光る世界を見ることができ、それ自身の兎の目をこよなく大事にしたい心から、かねて聞き及ぶ猟夫という兎の敵を、憎しみ恐れ、ついには之をあらわに回避するほどになったのである。つまり、兎の目が彼女を兎にしたのでは無くし・・・ 太宰治 「女人訓戒」
・・・ 春風馬堤曲とは俳句やら漢詩やら何やら交ぜこぜにものしたる蕪村の長篇にして、蕪村を見るにはこよなく便となるものなり。俳句以外に蕪村の文学として見るべきものもこれのみ。蕪村の熱情を現わしたるものもこれのみ。春風馬堤曲とは支那の曲名を真似た・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ はかないその日のうれしさを今か今かと涙ながらに待ちながら―― 大正三年九月二十六日こよなく尊き 宝失える 哀れなる姉 小霧降り虫声わびて 我が心悲しめる 夜の最中 ・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
出典:青空文庫