・・・その夜の夢に彼れは五彩の雲に乗るマリアを見た。マリアと見えたるはクララを祭れる姿で、クララとは地に住むマリアであろう。祈らるる神、祈らるる人は異なれど、祈る人の胸には神も人も同じ願の影法師に過ぎぬ。祭る聖母は恋う人の為め、人恋うは聖母に跪く・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・ 我輩は亭主に自分の身体はいつ移れるのかと聞いたら今日でもよいというから、午飯の後妻君と共に新宅へ引き移る事にした。 神さんと二人で午飯を食っていると亭主が代言人の所から帰って来て神さんに、御前一つ手紙をかいて差配の所へ郵便でやれ書・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・の前の金曜が「グード・フライデー」で「イースター」の御祭の初日だ。町の店はみんなやすんで買物などはいっさい禁制だ。明る土曜はまず平常の通りで、次が「イースター・サンデー」また買物を禁制される。翌日になってもう大丈夫と思うと、今度は「イースタ・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・ただに主僕の間のみならず、後妻をめとりて先妻を想うの例もあり。親愛尽きはてたる夫婦の間も、遠ざかればまた相想うの情を起すにいたるものならん。されば今、店子と家主と、区長と小前と、その間にさまざまの苦情あれども、その苦情は決して真の情実を写し・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・ つい先頃、後妻にいじめられ、水ものめずに死んだ石屋の爺さんが、七十六かで、沢や婆さんと略同年輩の最後の一人であった。その爺さえ、彼女の前身を確に知ってはいなかった。まして、村の若い者、仙二位の男達だって、赤児で始めて沢や婆さんの顔を見、怯・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・あびて居てさ、にくらしいにもほうずがあるじゃあないかねい、娘にそんな苦しい思いをさしておいてうれ高が少いと打ったり、けったりするんだと、もとはそれでもそうとうに暮して居たんだがきりょうのぞみでもらった後妻が我ままでさんざん金をまいたあげくに・・・ 宮本百合子 「同じ娘でも」
・・・ 五つの髪の厚い乙女が青白い体に友禅の五彩まばゆい晴衣をまとうて眠る胸に同じ様な人形と可愛い飯事道具の置かれた様を思うさえ涙ははてしなくも流れるのである。 飯事を忘れかぬる優しい心根よ。 一人行く旅路の友と人形を抱くしおらしさよ・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・ 結婚の幸福というものが五彩の雲につつまれて描かれているロマンティック時代は、時代として過ぎていると思う。反対に、或る種の若い女のひとは結婚の現実性を実利性ととりちがえ、その実利性をも一番低級な物質の面に根拠をおき、結婚は事務と云い、商・・・ 宮本百合子 「これから結婚する人の心持」
・・・と、細君を失くした医者の後妻の縁談までを、一旦ことわりつつ「あんなに急にことわることはなかったのかもしれない。」とさえ思う。「しかし、もし結婚するのならそんな知らない人よりも……」気心も分っている公荘と、「前のことなんかすっかり水に流して」・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
出典:青空文庫