・・・或夜のこと、それは冬だったが、当時私の習慣で、仮令見ても見ないでも、必ず枕許に五六冊の本を置かなければ寝られないので、その晩も例の如くして、最早大分夜も更けたから洋燈を点けた儘、読みさしの本を傍に置いて何か考えていると、思わずつい、うとうと・・・ 小山内薫 「女の膝」
・・・しかし、大阪の闇市場のことを書くとすれば、やはり猫の如く、杓子の如く、いや鸚鵡の如くこの紋切型に負けてしまうのだ。「何でも売っている」と。 なぜなら、大阪の闇市場の特色はこの一語に尽きるからである。 例えば主食を売っている。闇煙・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・ 私のながらくの空想は、かくの如くにして消えてしまった。しかしこういうことにはきりがないと見える。この頃、私はまた別なことを空想しはじめている。 それは、猫の爪をみんな切ってしまうのである。猫はどうなるだろう? おそらく彼は死んでし・・・ 梶井基次郎 「愛撫」
・・・と岡本の言葉が未だ終らぬうち近藤は左の如く言った、それが全で演説口調、「イヤどうも面白い恋愛談を聴かされ我等一同感謝の至に堪えません、さりながらです、僕は岡本君の為めにその恋人の死を祝します、祝すというが不穏当ならば喜びます、ひそかに喜・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・ 上述の如く倫理学の研究にはまず人生の事象についての、倫理的関心と情熱とが先行しなければならぬ。そしてその具体的研究の第一着手は倫理的な問いから発足しなければならぬ。問いはすべての初めである。しかもまた問いはその解決でさえもあるのだ。ハ・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・ 数えているとまだあるだろうが、いろ/\な食べ方が一カ月ばかりのうちに、附近の人々によってかくの如く考え出された。 平生、内地米のありがたさには気づかずに食っていたのだが『食』は、『衣』『住』と共に、人間が生きて行く上に最も重大なこ・・・ 黒島伝治 「外米と農民」
・・・さればとて故郷の平蕪の村落に病躯を持帰るのも厭わしかったと見えて、野州上州の山地や温泉地に一日二日あるいは三日五日と、それこそ白雲の風に漂い、秋葉の空に飄るが如くに、ぶらりぶらりとした身の中に、もだもだする心を抱きながら、毛繻子の大洋傘に色・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・女が鉄瓶を小さい方の五徳へ移せば男は酒を燗徳利に移す、女が鉄瓶の蓋を取る、ぐいと雲竜を沈ませる、危く鉄瓶の口へ顔を出した湯が跳り出しもし得ず引退んだり出たりしている間に鍋は火にかけられる。「下の抽斗に鰹節があるから。と女は云いながら・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・これで可いのである、兼ての覚悟あるべき筈である、私に取っては、世に在る人々の思うが如く、忌わしい物でも、恐ろしい物でも、何でもない。 私が死刑を期待して監獄に居るのは、瀕死の病人が施療院に居るのと同じである、病苦の甚しくないだけ更に楽か・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・末弟ひとり、まさにその老博士の如くふるいたって、さらにがくがくの論をつづける。「このごろでは、解析学の始めに集合論を述べる習慣があります。これについても、不審があります。たとえば、絶対収斂の場合、昔は順序に無関係に和が定るという意味に用・・・ 太宰治 「愛と美について」
出典:青空文庫