去年の春の夜、――と云ってもまだ風の寒い、月の冴えた夜の九時ごろ、保吉は三人の友だちと、魚河岸の往来を歩いていた。三人の友だちとは、俳人の露柴、洋画家の風中、蒔画師の如丹、――三人とも本名は明さないが、その道では知られた腕・・・ 芥川竜之介 「魚河岸」
・・・俺しもお前の年ごろの時分には、飯も何も忘れてからに夜ふかしをしたものだ。仕事をする以上はほかのことを忘れるくらいでなくてはおもしろくもないし、甘くゆくもんでもない。……しかし今夜は御苦労だった。行く前にもう一言お前に言っておくが」 そう・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ 三間幅――並木の道は、真白にキラキラと太陽に光って、ごろた石は炎を噴く……両側の松は梢から、枝から、おのが影をおのが幹にのみ這わせつつ、真黒な蛇の形を畝らす。 雲白く、秀でたる白根が岳の頂に、四時の雪はありながら、田は乾き、畠は割・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
段ばしごがギチギチ音がする。まもなくふすまがあく。茶盆をふすまの片辺へおいて、すこぶるていねいにおじぎをした女は宿の娘らしい。霜枯れのしずかなこのごろ、空もしぐれもようで湖水の水はいよいよおちついて見える。しばらく客という・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・ ある日、正ちゃんは、学校のないので、午前十一時ごろにやって来た。僕は大切な時間を取られるのが惜しかったので、いい加減に教えてすましてしまうと、「うちの芸者も先生に教えていただきたいと言います」と言い出した。「面倒くさいから・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・二代目喜兵衛が譲り受けた軽焼屋はいつごろからの店であったか、これも解らぬが、その頃は最早軽焼屋の店は其処にも此処にもあってさして珍らしくなかったようだ。 が、長崎渡りの珍菓として賞でられた軽焼があまねく世間に広がったは疱瘡痲疹の流行が原・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・眠くなったらソコの押入から夜具を引摺出してゴロ寝をするさ。賀古なぞは十二時が打たんけりゃ来ないよ、」といった。 賀古翁は鴎外とは竹馬の友で、葬儀の時に委員長となった特別の間柄だから格別だが、なるほど十二時を打ってからノソノソやって来られ・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・同ジコトデ、先日チョット露伴君ヲタズネマシタノサエ二年ブリト申スヨウナ訳デス、昔ハ御機嫌伺イトイウ事モアリマシタガ、今デハ御気焔伺イデスカラ、蛙鳴ク小田原ッ子ノ如キハ、メッタニ都ヘハ出ラレマセヌ、コノゴロ御引越ニナリマシタソウデ、区名カラ申・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・ その翌日から、さよ子は二階の欄干に出て、このよい音色に耳を傾けたときには、ああやはりいまごろは、あの青い時計台の下で、あの親孝行の娘らが、ああして、ピアノを鳴らしたり、歌をうたったり、マンドリンを弾いたりして、年老った父親を慰めている・・・ 小川未明 「青い時計台」
・・・家といったってどうせ荒家で、二間かそこいらの薄暗い中に、お父もお母も小穢え恰好して燻ってたに違いねえんだが……でも秋から先、ちょうど今ごろのような夜の永い晩だ、焼栗でも剥きながら、罪のねえ笑話をして夜を深かしたものだっけ、ね。あのころの事を・・・ 小栗風葉 「世間師」
出典:青空文庫