・・・ 大詐偽師だ! それよりもお前、ここへ来て俺の体を抑えていてくれ。」 彼等は互に抱き合ったなり、じっと長椅子に坐っていた。北京を蔽った黄塵はいよいよ烈しさを加えるのであろう。今は入り日さえ窓の外に全然光と言う感じのしない、濁った朱の色を・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
私達は、この社会生活にまつわる不義な事実、不正な事柄、その他、人間相互の関係によって醸成されつゝある詐欺、利欲的闘争、殆んど枚挙にいとまない程の醜悪なる事実を見るにつけ、これに堪えない思いを抱くのであるが、それがために、果して人間その・・・ 小川未明 「人間否定か社会肯定か」
・・・つまり一種の詐欺だからね。家賃を支払う意志なくして他人の家屋に入ったものと認められても仕方が無いことになるからね。そんなことで打込まれた人間も、随分無いこともないんだから、君も注意せんと不可んよ。人間は何をしたってそれは各自の自由だがね、併・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・(私の美に対する情熱が娘に対する情熱と胎を共にした双生児だったことが確かに信じられる今、私は窃盗に近いこと詐欺に等しいことをまだ年少だった自分がその末犯したことを、あなたにうちあけて、あとで困るようなことはないと思います。それ等は実に今・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・と呼ばれる詐偽的情事がある。すなわち将来学士となるという優越条件を利用して、結婚を好餌として女性を誘惑することだ。これは人間として最も卑怯な、恥ずべき行為である。どんなことがあっても、これだけはやってはならない。これはもう品性の死である。こ・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・見廻りの途中、時々寄っては話し込んで行く赫ら顔の人の好い駐在所の旦那が、――「世の中には恐ろしい人殺しというものがある、詐偽というものもある、強盗というものもある。然し何が恐ろしいたって、この日本の国をひッくり返そうとする位おそろしいものが・・・ 小林多喜二 「争われない事実」
・・・と云って、五十恰好の女が何時でも決まった時間に、市役所とか、税務署とか、裁判所とか、銀行とか、そんな建物だけを廻って歩いて、「わが夫様は米穀何百俵を詐欺横領しましたという――」きまった始まりで、御詠歌のように云って歩く「バカ」のいたのを。と・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・男の罪名は、結婚詐欺であった。不起訴ということになって、やがて出牢できたけれども、男は、そのときの検事の笑いを思うと、五年のちの今日でさえ、いても立っても居られません、と、やはり典雅に、なげいて見せた。男の名は、いまになっては、少し有名にな・・・ 太宰治 「あさましきもの」
・・・古いどころか詐欺だった。しかし、今日に於いては最も新しい自由思想だ。十年前の自由と、今日の自由とその内容が違うとはこの事だ。それはもはや、神秘主義ではない。人間の本然の愛だ。アメリカは自由の国だと聞いている。必ずや、日本のこの真の自由の叫び・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・疑いもなく、詐欺師の眼である。嘘をついている人の眼を見ると、例外なく、このように、涙で薄く潤んでいるものである。「いいにおいが、ぷんぷんしますぞ、へえ。これが、クリイム。これが、うす赤。これが、白。」ひとりで何かと、しゃべっている。嘘つきは・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
出典:青空文庫