・・・仕方がないから、佐倉へ降りる。 奥深い旅宿の一室を借りて三人は次ぎの発車まで休息することにした。おはまは二人の前にひれふしてひたすらに詫びる。「わたしはこんなことをするつもりではなかったのであります、思わず識らずこんな不束なまねをし・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・一俵八十五銭の佐倉があれだよ」とお徳は井戸から台所口へ続く軒下に並べてある炭俵の一を指して、「幾干入てるものかね。ほんとに一片何銭に当くだろう。まるでお銭を涼炉で燃しているようなものサ。土竈だって堅炭だって悉な去年の倍と言っても可い位だから・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
頭の禿げた善良そうな記者君が何度も来て、書け書け、と頭の汗を拭きながらおっしゃるので、書きます。 佐倉宗五郎子別れの場、という芝居があります。ととさまえのう、と泣いて慕う子を振り切って、宗五郎は吹雪の中へ走って消えます・・・ 太宰治 「政治家と家庭」
・・・ 洋の東西を問わず、また信仰の対象の何たるかを問わず、義の世界は、哀しいものである。 佐倉宗吾郎一代記という活動写真を見たのは、私の七つか八つの頃の事であったが、私はその活動写真のうちの、宗吾郎の幽霊が悪代官をくるしめる場面と、それ・・・ 太宰治 「父」
・・・今朝埋けた佐倉炭は白くなって、薩摩五徳に懸けた鉄瓶がほとんど冷めている。炭取は空だ。手を敲いたがちょっと台所まで聴えない。立って戸を明けると、文鳥は例に似ず留り木の上にじっと留っている。よく見ると足が一本しかない。自分は炭取を縁に置いて、上・・・ 夏目漱石 「文鳥」
・・・御一新、明治という濤は、二人の祖父の運命をもきつく搏ったのであるが、そのうけかたが、東北の官吏生活をしていた父かたの祖父と、佐倉藩で江戸暮しをつづけていた母かたの祖父とでは大変に異っている。特に弘道会という国粋的な道徳団体を創った人として、・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
・・・ 母の生れた西村という家は佐倉の堀田家の藩士で、決して豊かな家柄ではなかったらしい。しかし葭江と呼ばれた総領娘である母の娘盛りの頃は、その父が官吏として相当な地位にいたために、おやつには焼きいもをたべながら、華族女学校へは向島から俥で通・・・ 宮本百合子 「母」
旧佐倉街道を横に切れると習志野に連る一帯の大雑木林だ。赤土の開墾道を多勢の男連が出てシャベルやスコップで道路工事をやっている。×村から野菜を○○へ運び出すのに、道はここ一つだ。それを軍馬が壊すので、村民がしなければならない・・・ 宮本百合子 「飛行機の下の村」
母中條葭江は、明治八年頃東京築地で生れ、五十九歳で没しました。母の実家というのは西村と申し、千葉の佐倉宗五郎の伝説で知られている堀田藩の士で、祖父の代は次男だったので、武術の代りに好きな学問でもやれと言って国学、漢学、蘭学・・・ 宮本百合子 「わが母をおもう」
出典:青空文庫