・・・――石をも焦がすようなエルサレムの日の光の中に、濛々と立騰る砂塵をあびせて、ヨセフは眼に涙を浮べながら、腕の子供をいつか妻に抱きとられてしまったのも忘れて、いつまでも跪いたまま、動かなかった。……「されば恐らく、えるされむは広しと云え、御主・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・りましたから、年紀は取ってもちっとは呼吸がわかりますので、せがれの腕車をこうやって曳きますが、何が、達者で、きれいで、安いという、三拍子も揃ったのが競争をいたしますのに、私のような腕車には、それこそお茶人か、よっぽど後生のよいお客でなければ・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・ 三予はこう思ったことがある、茶人は愚人だ、其証拠には素人にロクな著述がない、茶人の作った書物に殆ど見るべきものがない、殊に名のある茶人には著書というもの一冊もない、であるから茶人というものは愚人である、茶は面白いが茶・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・晩年大河内子爵のお伴をして俗に柘植黙で通ってる千家の茶人と、同気相求める三人の変物揃いで東海道を膝栗毛の気散じな旅をした。天龍まで来ると川留で、半分落ちた橋の上で座禅をしたのが椿岳の最後の奇の吐きじまいであった。 臨終は明治二十二年九月・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・樹木の繁茂は海岸より吹き送らるる砂塵の荒廃を止めました。北海沿岸特有の砂丘は海岸近くに喰い止められました、樅は根を地に張りて襲いくる砂塵に対していいました、ここまでは来るを得べししかしここを越ゆべからずと。北海に浜する国・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・だがの、別段未練を残すのなんのというではないが、茶人は茶碗を大切にする、飲酒家は猪口を秘蔵にするというのが、こりゃあ人情だろうじゃないか。」「だって、今出してまいったのも同じ永楽ですよ。それに毀れた方はざっとした菫花の模様で、焼も余りよ・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・水辺のしずかな散歩のかわりに、砂塵濛々の戦車の疾駈があった。 相剋の結合は、含羞の華をひらいた。アグリパイナは、みごもった。ブラゼンバートは、この事実を知って大笑した。他意は無かった。ただ、おかしかったのである。 アグリパイナは、ほ・・・ 太宰治 「古典風」
・・・そんな事を考えなくてもただ鏡に映った顔をかけばいいと思ってやっているうちに着物の左衽のところでまたちょっと迷わされた。自分の科学と芸術とは見たままに描けと命ずる一方で、なんだか絵として見た時に不自然ではないかという気もするし、年取った母がい・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・ また一例を挙げると、三月十六日パレスタインで強風が砂塵を立てているに乗じてトルコの駱駝隊を襲撃し全滅させたという記事もある。その他各戦線にわたって天候のために利を得また損害を受けた実例は枚挙に暇ないほどある。ことに飛行隊の活動などは著・・・ 寺田寅彦 「戦争と気象学」
・・・どうもアフリカの内地から来る非常に細かい砂塵らしい。 午後乗り組みの帰休兵が運動競技をやった。綱引きやら闘鶏――これは二人が帆桁の上へ向かい合いにまたがって、枕でなぐり合って落としっくらをするのである。それから Geld Suchen ・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
出典:青空文庫