・・・丈長き黒髪がきらりと灯を受けて、さらさらと青畳に障る音さえ聞える。「南無三、好事魔多し」と髯ある人が軽く膝頭を打つ。「刹那に千金を惜しまず」と髯なき人が葉巻の飲み殻を庭先へ抛きつける。隣りの合奏はいつしかやんで、樋を伝う雨点の音のみが高・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・それから手に持った手紙をさらさらと巻いて浴衣のふところへ入れた。そうして鏡の前で髪を分けた。時計を見ると、まだ七時である。しかし自分は十時何分かの汽車で立つはずになっていた。手をたたいて下女を呼んで、すぐ重吉を車で迎えにやるように命じた。そ・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・ 書斎の中では相変らずペンの音がさらさらする。書きかけた小説はだいぶんはかどった。指の先が冷たい。今朝埋けた佐倉炭は白くなって、薩摩五徳に懸けた鉄瓶がほとんど冷めている。炭取は空だ。手を敲いたがちょっと台所まで聴えない。立って戸を明ける・・・ 夏目漱石 「文鳥」
・・・そこでは空気がさらさらしていた。 殊に、そこは視野が広くて、稀には船なども見ることが出来たし、島なども見えた。 フックラと莟のように、海に浮いた島々が、南洋ではどんなに奇麗なことだろう。それは、ひどい搾取下にある島民たちで生活されて・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・するとある年の秋、水のようにつめたいすきとおる風が、柏の枯れ葉をさらさら鳴らし、岩手山の銀の冠には、雲の影がくっきり黒くうつっている日でした。 四人の、けらを着た百姓たちが、山刀や三本鍬や唐鍬や、すべて山と野原の武器を堅くからだにしばり・・・ 宮沢賢治 「狼森と笊森、盗森」
・・・あまあがりや、風の次の日、そうでなくてもお天気のいい日に、畑の中や花壇のかげでこんなようなさらさらさらさら云う声を聞きませんか。「おい。ベッコ。そこん処をも少しよくならして呉れ。いいともさ。おいおい。ここへ植えるのはすずめのかたびらじゃ・・・ 宮沢賢治 「カイロ団長」
・・・ そのとき林の奥の方で、さらさらさらさら音がして、それから、「のろづきおほん、のろづきおほん、 おほん、おほん、 ごぎのごぎのおほん、 おほん、おほん、」とたくさんのふくろうどもが、お月さまのあかりに青じろくはねをひ・・・ 宮沢賢治 「かしわばやしの夜」
・・・ 次の朝、空はよく晴れて谷川はさらさら鳴りました。一郎は途中で嘉助と佐太郎と悦治をさそっていっしょに三郎のうちのほうへ行きました。 学校の少し下流で谷川をわたって、それから岸で楊の枝をみんなで一本ずつ折って、青い皮をくるくるはい・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・小さな小さな氷のかけらがさらさらぶっかかるんだもの、そのかけらはここから見えやしないよ」「又三郎さんは去年なも今頃ここへ来たか。」「去年は今よりもう少し早かったろう。面白かったねえ。九州からまるで一飛びに馳けて馳けてまっすぐに東京へ・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・湯はもちろん薪で焚いたのと一向変わりはなかったが、しかしこの努力でできた灰は大したものであった。さらさらとしていて、何となく清浄な感じで、灰としてはまず第一等のものである。 紅葉のなくなったあとの十二月から、新芽の出始める三月末までの間・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
出典:青空文庫