・・・そこの廊下でおげんが見つけるものは、壁でも、柱でも、桟橋でも、皆覚えのあるものばかりであった。「ここは何処だらず。一体、俺は何処へ来ているのだずら」「小山さんも覚えが悪い。ここは根岸の病院じゃありませんか。あなたが一度いらしったとこ・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・矢張、江戸風な橋の欄干の上に青銅の擬宝珠があり、古い魚河岸があり、桟橋があり、近くに鰹節問屋、蒲鉾屋などが軒を並べていて、九月はじめのことであって見れば秋鯖なぞをかついだ肴屋がそのごちゃごちゃとした町中を往ったり来たりしているようなところで・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・ そんな会話をしたのを、ぼんやり覚えている。山峡のまちに居るのだな、と酔っていながらも旅愁を感じた。 宿に送りとどけられ、幸吉兄妹に蒲団までひいてもらったのだろう、私は翌る日の正午ちかくまで、投げ捨てられた鱈のように、だらしなく眠っ・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・第二次の実験は隅田川の艇庫前へ持って行ってやったのだが、その時に仲間の一人が、ボイラーをかついで桟橋から水中に墜落する場面もあって、忘れ難い思い出の種になっている。 墜落では一つの思い出がある。三年生の某々二君と、池の水温分布を測った事・・・ 寺田寅彦 「池」
・・・……シナ人が籐寝台を売りに来たのを買って涼みながらT氏と話していると、浴室ボーイが船から出かけるのを見たから頼んで絵はがきを出してもらう。桟橋へあやしげな小船をこぎよせる者があるから見ていると盛装したシナ婦人が出て来た。白服に着かえた船のボ・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・革鞄と毛布と蝙蝠傘とを両手一ぱいにかかえて狭き梯子を上って甲板に上がれば既に船は桟橋へ着きていたり。苅谷氏に昨夕の礼をのべて船を下り安松へ上がる。岡崎賢七とか云う人と同室へ入れられ、宅へ端書したゝむ。時計を見ればまだ三時なり。しかし六時の急・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・船が桟橋へ着いたら家族や親類がおおぜい迎えに来ていた。姉が見知らぬ子供をおぶっているから、これはだれかと聞いたらみんなが笑いだした。それが紛れもない自分の子供であったのである。それがそうだと聞かされると同時に三年前の赤ん坊の顔と東京の原町の・・・ 寺田寅彦 「庭の追憶」
・・・ 二 私は桟橋の上に立っていた。向側には途方もない大きな汽船の剥げ汚れた船腹が横づけになっている。傘のように開いた荷揚器械が間断なく働いて大きな函のようなものを吊り揚げ吊り降ろしている。 ドイツの兵隊が大・・・ 寺田寅彦 「夢」
・・・道の両側には生垣をめぐらし倉庫をかまえた農家が立並び、堤には桟橋が掛けられ、小舟が幾艘も繋がれている。 遥に水の行衛を眺めると、来路と同じく水田がひろがっているが、目を遮るものは空のはずれを行く雲より外には何物もない。卑湿の地もほどなく・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ 土曜といわず日曜といわず学校の帰り掛けに書物の包を抱えたまま舟へ飛乗ってしまうのでわれわれは蔵前の水門、本所の百本杭、代地の料理屋の桟橋、橋場の別荘の石垣、あるいはまた小松島、鐘ヶ淵、綾瀬川なぞの蘆の茂りの蔭に舟をつないで、代数や幾何・・・ 永井荷風 「夏の町」
出典:青空文庫