・・・初の烏、どうと地に座す。三羽の烏はわざとらしく吃驚の身振地を這う烏は、鳴く声が違うじゃろう。うむ、どうじゃ。地を這う烏は何と鳴くか。初の烏 御免なさいまし、どうぞ、御免なさいまし。紳士 ははあ、御免なさいましと鳴くか。御免なさいまし・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・夫人、人形使と並び坐す。稚児二人あたかも鬼に役せらるるもののごとく、かわるがわる酌をす。静寂、雲くらし。鶯はせわしく鳴く。笙篳篥幽に聞ゆ。――南無大師遍照金剛――次第に声近づき、やがて村の老若男女十四五人、くりかえし唱えつつ来る。・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・春の夜に尊き御所を守身かな春惜む座主の連歌に召されけり命婦より牡丹餅たばす彼岸かな滝口に灯を呼ぶ声や春の雨よき人を宿す小家や朧月小冠者出て花見る人を咎めけり短夜や暇賜はる白拍子葛水や入江の御所に詣づれば・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・脚を重ねて椅子に座す。ポケットより新聞と老眼鏡とを取り出し殊更に顔をしかめつつこれを読む。しきりにゲップす。やがて睡る。曹長「大将の勲章は実に甘そうだなあ。」特務曹長「それは甘そうだ。」曹長「食べるというわけには行か・・・ 宮沢賢治 「饑餓陣営」
・・・王が大きい方の椅子に坐すと供人が後に立ち、香炉持ハ左右に。紫っぽい細い煙りは絶えず立ちのぼって王の頭の上に舞う。王 法王はわしに会いに参ったそうじゃのう。小姓 御意の通りでございます、陛下。王 呼んでおくりゃれ。・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
・・・そして私の頭には百姓とともに枯れ草を刈るトルストイの面影と、地獄の扉を見おろして坐すべきあの「考える人」の姿とが、相並んで浮かび出た。私は石の上に腰をおろして、左の肱を右の膝に突いて、顎を手の甲にのせて、――そして考えに沈んだ。残った舟はも・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫