・・・死者を納れる石棺のおもてへ、淫らな戯れをしている人の姿や、牝羊と交合している牧羊神を彫りつけたりした希臘人の風習を。――そして思った。「彼らは知らない。病院の窓の人びとは、崖下の窓を。崖下の窓の人びとは、病院の窓を。そして崖の上にこんな・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・ 演奏者の白い十本の指があるときは泡を噛んで進んでゆく波頭のように、あるときは戯れ合っている家畜のように鍵盤に挑みかかっていた。それがときどき演奏者の意志からも鳴り響いている音楽からも遊離して動いているように感じられた。そうかと思うと私・・・ 梶井基次郎 「器楽的幻覚」
・・・ 祭の日などには舞台据えらるべき広辻あり、貧しき家の児ら血色なき顔を曝して戯れす、懐手して立てるもあり。ここに来かかりし乞食あり。小供の一人、「紀州紀州」と呼びしが振向きもせで行過ぎんとす。うち見には十五六と思わる、蓬なす頭髪は頸を被い・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・ 由なき戯れとは思いつつも、少女がかれに気づかぬを興あることに思いしか、はた真白の皿に紅の木の葉拾いのせしふるまいのみやびて見えつるか、青年はまた楓の葉を一つ摘みて水に投げたり。木の葉は少女の手もとに流れゆきぬ、少女は直ちに摘まみてまた・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・と少し叱り気味で云うと、「ハイ、ハイ、ご道理さまで。」と戯れながらお近はまた桑を採りに圃へ入る。それと引違えて徐に現れたのは、紫の糸のたくさんあるごく粗い縞の銘仙の着物に紅気のかなりある唐縮緬の帯を締めた、源三と同年か一つも上で・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・またたまにはその娘に逢った時、太郎坊があなたにお眼にかかりたいと申しておりました、などと云って戯れたり、あの次郎坊が小生に対って、早く元のご主人様のお嬢様にお逢い申したいのですが、いつになれば朝夕お傍に居られるような運びになりましょうかなぞ・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・ 一昨年の夏、露国より帰航の途中で物故した長谷川二葉亭を、朝野挙って哀悼した所であった、杉村楚人冠は私に戯れて、「君も先年米国への往きか帰りかに船の中ででも死んだら偉いもんだったがなア」と言った。彼れの言は戯言である、左れど実際私として・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・ののあつまりのことで、花の風情を人の姿に見立て、あるものには大音羽屋、あるものには橘屋、あるものには勉強家などの名がついたというのも、見るからにみずみずしい生気を呼吸する草の一もとを頼もうとするからの戯れであった。時には、大森の方から魚を売・・・ 島崎藤村 「秋草」
・・・だれの戯れから始まったともなく、もう幾つとなく細い線が引かれて、その一つ一つには頭文字だけをローマ字であらわして置くような、そんないたずらもしてある。「だれだい、この線は。」 と聞いてみると、末子のがあり、下女のお徳のがある。いつぞ・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・二、三の評論家に嘘の神様、道化の達人と、あるいはまともの尊敬を以て、あるいは軽い戯れの心を以て呼ばれていた、作家、笠井一の絶筆は、なんと、履歴書の下書であった。私の眼に狂いはない。かれの生涯の念願は、「人らしい人になりたい」という一事であっ・・・ 太宰治 「狂言の神」
出典:青空文庫