・・・それだけが今度の残務だった。「登記所の方がすんだら、明日はどうしましょうか」「そうねえ、こんな場合はどこへも寄らないものだというから、また出なおしてくるまでもひとまず帰ろうか。来た時と方面を変えて、奥羽線で一直線に帰ろうじゃないか。・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・ねがえりの耳に革鞄の仮枕いたずらに堅きも悲しく心細くわれながら浅猿しき事なり。残夢再びさむれば、もう神戸が見えますると隣りの女に告ぐるボーイの声。さてこそとにわかに元気つきて窓を覗きたれど月なき空に淡路島も見え分かず。再びとろ/\として覚む・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・もし現在の科学の所得は、すでに科学の究極的に獲得しうるすべての大部分であると考え、吾人の残務はただそこかしこの小さい穴を繕うに過ぎぬと考えればプランクの説はもっともと思われる。しかしそう考えるだけの確かな根拠があるかどうか自分には疑わしい。・・・ 寺田寅彦 「物理学と感覚」
・・・学校の規則もとより門閥貴賤を問わずと、表向の名に唱るのみならず事実にこの趣意を貫き、設立のその日より釐毫も仮すところなくして、あたかも封建門閥の残夢中に純然たる四民同権の一新世界を開きたるがごとし。 けだし慶応義塾の社員は中津の旧藩士族・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・階下の戸を開けっ放した室で年とった四角の体の男が時々来て残務整理をやった。 ――御承知のような現状で坑夫組合はこの学校で三十人前後教育するために年三四千ポンドを負担するに堪えなくなったのです。昨今の形勢では折角それらの人々を教育してもか・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
出典:青空文庫