・・・それは、彼にとっては、不思議なほど色彩の鮮な記憶である。彼はその思い出の中に、長蝋燭の光を見、伽羅の油の匂を嗅ぎ、加賀節の三味線の音を聞いた。いや、今十内が云った里げしきの「さすが涙のばらばら袖に、こぼれて袖に、露のよすがのうきつとめ」と云・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・実際模範的な開化の紳士だった三浦が、多少彼の時代と色彩を異にしていたのは、この理想的な性情だけで、ここへ来ると彼はむしろ、もう一時代前の政治的夢想家に似通っている所があったようです。「その証拠は彼が私と二人で、ある日どこかの芝居でやって・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・おまけに二人をまぎらすような物音も色彩もそこには見つからなかった。なげしにかかっている額といっては、黒住教の教主の遺訓の石版と、大礼服を着ていかめしく構えた父の写真の引き延ばしとがあるばかりだった。そしてあたりは静まり切っていた。基石の底の・・・ 有島武郎 「親子」
・・・それから水々しく青葉に埋もれてゆく夏、東京あたりと変らない昼間の暑さ、眼を細めたい程涼しく暮れて行く夜、晴れ日の長い華やかな小春、樹は一つ/\に自分自身の色彩を以てその枝を装う小春。それは山といわず野といわず北国の天地を悲壮な熱情の舞台にす・・・ 有島武郎 「北海道に就いての印象」
・・・われらこの烈しき大都会の色彩を視むるもの、奥州辺の物語を読み、その地の婦人を想像するに、大方は安達ヶ原の婆々を想い、もっぺ穿きたる姉をおもい、紺の褌の媽々をおもう。同じ白石の在所うまれなる、宮城野と云い信夫と云うを、芝居にて見たるさえ何とや・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・ が、ものの本の中に、同じような場面を読み、絵の面に、そうした色彩に対しても、自から面の赤うなる年紀である。 祖母の傍でも、小さな弟と一所でも、胸に思うのも憚られる。……寝て一人の時さえ、夜着の袖を被らなければ、心に描くのが後暗い。・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 疱瘡の色彩療法は医学上の根拠があるそうであるが、いつ頃からの風俗か知らぬが蒲団から何から何までが赤いずくめで、枕許には赤い木兎、赤い達磨を初め赤い翫具を列べ、疱瘡ッ子の読物として紅摺の絵本までが出板された。軽焼の袋もこれに因んで木兎や・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・その第一回は美妙の裸蝴蝶で大分前受けがしたが、第二回の『於母影』は珠玉を満盛した和歌漢詩新体韻文の聚宝盆で、口先きの変った、丁度果実の盛籠を見るような色彩美と清新味で人気を沸騰さした。S・S・Sとは如何なる人だろう、と、未知の署名者の謎がい・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
時間的に人事の変遷とか、或は事件の推移を書かないで、自分の官能を刺戟したものを気持で取扱って、色彩的に描写すると云うことは新らしき文芸の試みである。 だから、それは時間的と云うよりは寧ろ空間的に書くことになる。元来これは絵画の領域・・・ 小川未明 「動く絵と新しき夢幻」
・・・そして、粘土細工、積木細工、絵草紙、メンコ、びいどろのおはじき、花火、河豚の提灯、奥州斎川孫太郎虫、扇子、暦、らんちゅう、花緒、風鈴……さまざまな色彩とさまざまな形がアセチリン瓦斯やランプの光の中にごちゃごちゃと、しかし一種の秩序を保って並・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
出典:青空文庫