・・・ 何といっても、私が最も、年齢について、悲哀を感じたのは、その三十の年を過ぐる時でありました。「あゝ、もう青春も去ってしまったのか?」 四季について言えば、三十までは、春の日の光りの裡にまどろむ自然の如くでありました。柔らかな、・・・ 小川未明 「机前に空しく過ぐ」
・・・そして馬に乗ってそれを指揮するのは、かの青年でありました。その軍隊はきわめて静粛で声ひとつたてません。やがて老人の前を通るときに、青年は黙礼をして、ばらの花をかいだのでありました。 老人は、なにかものをいおうとすると目がさめました。それ・・・ 小川未明 「野ばら」
・・・ そこで彼は、土地の軍楽隊に籍を置いたり、けちな管弦楽団の臨時雇の指揮をしたりして、口を糊しながら、娘の寿子を殆ど唯一人の弟子にして「津路式教授法」のせめてものはけ口を、幼い寿子に見出して来たのであった。 ところが、今日、寿子が弾い・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・そして、病気ではご飯たきも不自由やろから、家で重湯やほうれん草炊いて持って帰れと、お辰は気持も仏様のようになっており、死期に近づいた人に見えた。 お辰とちがって、柳吉は蝶子の帰りが遅いと散々叱言を言う始末で、これではまだ死ぬだけの人間に・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・吸筒が倒れる、中から水――といえば其時の命、命の綱、いやさ死期を緩べて呉れていようというソノ霊薬が滾々と流出る。それに心附いた時は、もうコップ半分も残ってはいぬ時で、大抵はからからに乾燥いで咽喉を鳴らしていた地面に吸込まれて了っていた。・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・れを家の者が笑って話したとき、吉田は家の者にもやはりそんな気があるのじゃないかと思って、もうちょっとその魚を大きくしてやる必要があると言って悪まれ口を叩いたのだが、吉田はそんなものを飲みながらだんだん死期に近づいてゆく娘のことを想像すると堪・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・』と小山は突然呼んだ、『兄さん、人の一生を四季にたとえるようですが、春を小生のような時として、小春は人の幾歳ぐらいにたとえていいでしょう』と何を感じたか、むこうへ向いたまま言った。『秋かね?』『秋と言わないで、小春ですよ!』『僕・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・しかし老人は真面目で「私も自分の死期の解らぬまでには老耄せん、とても長くはあるまいと思う、其処で実は少し折入って貴公と相談したいことがあるのじゃ」 かくてその夜は十時頃まで富岡老人の居間は折々談声が聞え折々寂と静まり。又折々老人の咳・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・正元元年より二年にかけては大疫病流行し、「四季に亙つて已まず、万民既に大半に超えて死を招き了んぬ。日蓮世間の体を見て、粗一切経を勘ふるに、道理文証之を得了んぬ。終に止むなく勘文一通を造りなして、其の名を立正安国論と号す。文応元年七月十六日、・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・大隊を指揮する、取っておきのどら声で怒なりつけようとした。その声は、のどの最上部にまで、ぐうぐう押し上げて来た。 が、彼は、必死の努力で、やっとそれを押しこらえた。そして、前よりも二倍位い大股に、聯隊へとんで帰った。「女のところで酒・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
出典:青空文庫