・・・ 母は腹痛をこらえながら、歯齦の見える微笑をした。「帝釈様の御符を頂いたせいか、今日は熱も下ったしね、この分で行けば癒りそうだから、――美津の叔父さんとか云う人も、やっぱり十二指腸の潰瘍だったけれど、半月ばかりで癒ったと云うしね、そ・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・お蓮にはその剣舞は勿論、詩吟も退屈なばかりだった。が、牧野は巻煙草へ火をつけながら、面白そうにそれを眺めていた。 剣舞の次は幻燈だった。高座に下した幕の上には、日清戦争の光景が、いろいろ映ったり消えたりした。大きな水柱を揚げながら、「定・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・丹波先生はやはり自分たちの級に英語を教えていたが、有名な運動好きで、兼ねて詩吟が上手だと云う所から、英語そのものは嫌っていた柔剣道の選手などと云う豪傑連の間にも、大分評判がよかったらしい。そこで先生がこう云うと、その豪傑連の一人がミットを弄・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・赤坊は堅くなりかかった歯齦でいやというほどそれを噛んだ。そして泣き募った。「腐孩子! 乳首食いちぎるに」 妻は慳貪にこういって、懐から塩煎餅を三枚出して、ぽりぽりと噛みくだいては赤坊の口にあてがった。「俺らがにも越せ」 いき・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・口中に熱あり、歯の浮く御仁、歯齦の弛んだお人、お立合の中に、もしや万一です。口の臭い、舌の粘々するお方がありましたら、ここに出しておきます、この芳口剤で一度漱をして下さい。」 と一口がぶりと遣って、悵然として仰反るばかりに星を仰ぎ、頭髪・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・こころよい愛撫のかわりに、歯齦から血の出るほどの殴打があった。水辺のしずかな散歩のかわりに、砂塵濛々の戦車の疾駈があった。 相剋の結合は、含羞の華をひらいた。アグリパイナは、みごもった。ブラゼンバートは、この事実を知って大笑した。他意は・・・ 太宰治 「古典風」
・・・誤の感じは、単なるハイカラ的見地からでなく現代の世界が使用している武器の機械的な強力さや精緻さは子供だって知っているのだから、女の子がなまじそんな木剣を背負って行進したりするところには、ちかごろ流行の詩吟や黒紋付姿同様、何か国民が本気でそれ・・・ 宮本百合子 「女の行進」
・・・黙ってきいていると、政策が語られずに、詩吟をする候補者まで出て来ます。これは世界にも余り類のないことでしょう。 私たちの毎日は、悠暢なものではありません。モラトリアムで、国民の経済が救われそうに話されましたが、一ヵ月たった今日では、万事・・・ 宮本百合子 「幸福のために」
・・・昨今の工場では労務課がいろいろ苦心して講習会をやるが、その一つで詩吟の会だの剣舞の会だのというのがある。この間或る婦人雑誌で、百貨店の婦人店員たちが仕舞の稽古をしている写真も見た。 詩吟というものは、ずっと昔も一部の人は好んだろうが、特・・・ 宮本百合子 「今日の生活と文化の問題」
・・・もう糖尿病になっていたので、下を向いていることは歯齦を充血させて体力が持たなかった。そのほか、後できくと、その絵の師匠は、絵筆をとっている合間に、家をたててくれなどと云い出したので、母は警戒して絵の稽古もやめてしまったのであった。 その・・・ 宮本百合子 「母」
出典:青空文庫