・・・と自分、外に村の者、町の者、出張所の代診、派出所の巡査など五六名の者は笊碁の仲間で、殊に自分と升屋とは暇さえあれば気永な勝負を争って楽んでいたのが、改築の騒から此方、外の者はともかく、自分は殆ど何より嗜好、唯一の道楽である碁すら打ち得なかっ・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・しかし因果律は先験的な精神の法則であって、これに従わずに思考することはわれわれにはできない。それなら非決定的の自由とは思考ではなく、その放棄であろうか。 ニコライ・ハルトマンはこの点に触れて、カントの「積極的自由」の思想をあげて、その功・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・ しかし童貞を尊び、志向を純潔にし、その精神に夢と憧憬とを富ましめるということは、青年の恋愛にとって欠くべからざる心がけである。 五 相互選択と男性のイニシアチヴ 青年男女はその性の選択によって相互に刺激し合い、・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・ われわれはインテリゼンスの階層である読書青年が今その旺盛な知識欲をもって、その知的胃腑を満たし、また思考力を操練せねばならないとき、知性の拡充よりもその揚棄を先きに説かんと欲するものではない。しかしながら知性そのものにもその階層がある・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・ われわれは生の探求に発足した青年に、永遠の真理の把握と人間完成とを志向せしめようと祈願するとき、彼らがいずれはその理性知を揚棄せねばならぬことを注意せざるを得ず、またその読者の選択を合理的知性に対応する方向のみに向けしむることは衷心か・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・心霊の高貴とか、いのちの不思議とかいうようなものは、物質を超越しようとする志向の下に初めてなりたつ事柄で、物的条件をエキスキュースにしだしては死滅してしまうのである。だから前回に述べたような現実の心づかいは実にやむを得ない制約なので、恋愛の・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・屋の上で鴟の鳴くのは飯綱の法成就の人に天狗が随身伺候するのである意味だ。旋風の起るのも、目に見えぬ眷属が擁護して前駆するからの意味である。飯綱の神は飛狐に騎っている天狗である。 こういう恐ろしい飯綱成就の人であった植通は、実際の世界にお・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・婆さんは長く奉公して、主人が食物の嗜好までも好く知っていた。 小娘は珈琲茶碗を運んで来た。婆さんも牛乳の入物を持って勝手の方から来た。その後から、マルも随いて入って来た。「マルも年をとりまして御座いますよ。この節は風邪ばかり引いて、・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・生活の基本には、そんな素朴な命題があって、思考も、探美も、挨拶も、みんなその上で行われているもので、こんなに毎晩毎晩、同じように、寝そべりながら虚栄の挨拶ばかり投げつけ合っているのは、ずいぶん愚かな、また盲目的に傲慢な、あさましいことではな・・・ 太宰治 「花燭」
・・・からだがちがっているのと同様に、その思考の方法も、会話の意味も、匂い、音、風景などに対する反応の仕方も、まるっきり違っているのだ。女のからだにならない限り、絶対に男類には理解できない不思議な世界に女というものは平然と住んでいるのだ。君は、た・・・ 太宰治 「女類」
出典:青空文庫