・・・ただ、唇の両端が怜悧そうに上へめくれあがって、眼の黒く大きいのが取り柄である。姿態について、家人に問うと、「十六では、あれで大きいほうではないでしょうか。」と答えた。また、身なりについては、「いつでも、小ざっぱりしているようじゃございません・・・ 太宰治 「めくら草紙」
・・・面貌、姿態の如きものであろうか。宿命なり。いたしかたなし。感謝の文学 日本には、ゆだん大敵という言葉があって、いつも人間を寒く小さくしている。芸術の腕まえにおいて、あるレヴェルにまで漕ぎついたなら、もう決して上りもせず、また・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・その音源はお園からは十メートル近くも離れた上手の太夫の咽喉と口腔にあるのであるが、人形の簡単なしかし必然的な姿態の吸引作用で、この音源が空中を飛躍して人形の口へ乗り移るのである。この魔術は、演技者がもしも生きた人間であったら決してしとげられ・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・その怪物の透明な肢体の各部がいろいろ複雑微妙な運動をしている。しかしわれわれ愚かな人間にはそれらの運動が何を意味するか、何を目的としているか全くわからない。わからないから見ていて恐ろしくなりすごくなる。哀れな人間の科学はただ茫然として口をあ・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・たとえば獅子やジラフやゼブラそのものの生活姿態のおもしろいことはもちろんであるが、その周囲の環境ならびにその環境との関係が意外な新しい知識と興味を呼び起こす場合がはなはだ多い。たとえばライオンと風になびく草原との取り合わせなどがそうである。・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・ 溺死者の屍体が二、三日もたって上がると、からだ中に黄螺が附いて喰い散らしていて眼もあてられないという話を聞いて怖気をふるったことであった。 海水着などというものはもちろんなかった。男子はアダム以前の丸裸、婦人は浴衣の紐帯であったと・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・しかしそれよりも、もっと直接に自覚的な筋肉感覚に訴える週期的時間間隔はと言えば、歩行の歩調や、あるいは鎚でものをたたく週期などのように人間肢体の自己振動週期と連関したものである。舞踊のステップの週期も同様であって、これはまた音楽の律動週期と・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・のは売り手のじいさんの団扇の使い方の巧妙なことであった。団扇の微妙な動かし方一つでおどけた四角の紙の獅子が、ありとあらゆる、「いわゆる獅子」の姿態をして見せる。つくづく見ていると、この紙片に魂がはいって、ほんとうに二匹の獅子が遊び戯れ相角逐・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・明治大学前に黒焦の死体がころがっていて一枚の焼けたトタン板が被せてあった。神保町から一ツ橋まで来て見ると気象台も大部分は焼けたらしいが官舎が不思議に残っているのが石垣越しに見える。橋に火がついて燃えているので巡査が張番していて人を通さない。・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・そのときのこの若くて眉目秀麗な力士の姿態にどこか女らしくなまめかしいところのあるのを発見して驚いたことであった。四 大学生時代に回向院の相撲を一二度見に行ったようであるがその記憶はもうほとんど消えかかっている。ただ、常陸山、・・・ 寺田寅彦 「相撲」
出典:青空文庫