・・・たとえば歯科医の看板にしても、それが我我の眼にはいるのは看板の存在そのものよりも、看板のあることを欲する心、――牽いては我々の歯痛ではないか? 勿論我我の歯痛などは世界の歴史には没交渉であろう。しかしこう云う自己欺瞞は民心を知りたがる政治家・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・聞いて見ると、この歯医者の先生は、いまだかつて歯痛の経験がないのだそうである。それでなければ、とてもこんなに顔のゆがんでいる僕をつかまえて辣腕をふるえる筈がない。 かえりに区役所前の古道具屋で、青磁の香炉を一つ見つけて、いくらだと云った・・・ 芥川竜之介 「田端日記」
・・・老妻が歯痛をわずらい、見かねて嘉七が、アスピリンを与えたところ、ききすぎて、てもなくとろとろ眠りこんでしまって、ふだんから老妻を可愛がっている主人は、心配そうにうろうろして、かず枝は大笑いであった。いちど、嘉七がひとり、頭をたれて宿ちかくの・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・「右の奥歯がいたくてなりません。歯痛ほど閉口なものはないね。アスピリンをどっさり呑めば、けろっとなおるのだが。おや、あなたを呼んだのは僕だったのですか? しつれい。僕にはねえ」私の顔をちらと見てから、口角に少し笑いを含めて、「ひとの見さかい・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・あの階段の下には、もう一部屋あって、おかみさんの親戚のひとが、歯の手術に上京して来ていてそこに寝ていたのですね。歯痛には、あのドスンドスンもダダダダも、ひびきますよ。おかみさんに言ったってね、私はあの二階のお客さんたちに殺されますって。とこ・・・ 太宰治 「眉山」
・・・ それほどになる以前にも、またその後にも、ほとんど不断に歯痛に悩まされていたことはもちろんである。早く歯医者にかかって根本的治療をすればよかったわけであるが、子供の時に味わった歯医者への恐怖がいつまでも頭に巣食っていたのと、もう一つには・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・を書いて、中学生徒に私通をさせた。どれもどれも危険この上もない。 パアシイ族の虐殺者が洋書を危険だとしたのは、ざっとこんな工合である。 * * * パアシイ族の目で見られる・・・ 森鴎外 「沈黙の塔」
出典:青空文庫