・・・田舎というところは、一種彼等には、詩的のところのようにすら思われていました。新鮮な空気と青々とした野菜と、そして広々とした野原とは、全く都会生活者には、そう思われるか知れない。けれど、そこに営まれつゝある生活は、別種のものではなかった。もっ・・・ 小川未明 「街を行くまゝに感ず」
・・・ まるで日本の伝統的小説である身辺小説のように、簡素、単純で、伝統が作った紋切型の中でただ少数の細かいニュアンスを味っているだけにすぎず、詩的であるかも知れないが、散文的な豊富さはなく、大きなロマンや、近代的な虚構の新しさに発展して行く・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・それでも、一度だけだが、板の間のことをその場で指摘されると、何ともいい訳けのない困り方でいきなり平身低頭して詫びを入れ、ほうほうの体で逃げ帰った借金取があったと、きまってあとでお辰の愚痴の相手は娘の蝶子であった。 そんな母親を蝶子はみっ・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ある友人の腕の皮膚が不健康な皺を持っているのを、ある腕の太さ比べをしたとき私が指摘したことがありました。すると友人は「死んでやろうと思うときがときどきあるんだ」と激しく云いました。自分のどこかに醜いところが少しでもあれば我慢出来ないというの・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・こは詩的形容にあらず、君よ今わが現に感ずるところなり。 昨夜までは、わが洋行も事業の名をかりて自ら欺く逃走なりき。かしこは墳墓なりき。今やしからず。今朝より君が来宅までわが近郊の散歩は濁水暫時地を潜りし時のごとし。こはわが荒き感情の漉さ・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・かくして真の人間の立場から全体主義の人間倫理学がつくられて行くことが来たるべき史的展望ではあるまいか。 最後に倫理学の最も深き、困難な根本問題として「意志の自由」の問題がある。「意志の自由」とは普通には、行為の選択の自由のいいである・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・財の私的所有ならびに商業は倫理的に正しきものなりや? マルクスが問うてみせるまで、常人はそれほどにも自分らの禍福の根因であるこの問いを問うことができなかった。 天才の書によってわれわれは自分の力では開き得ない宇宙と人間性との奥深き扉をの・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・ 更に、もう一つ指摘するならば、一九三〇年頃より「日米若し戦はゞ」とか「米国恐るゝに足らず」とか云った日米戦争未来記が市場に洪水している如く、日露戦争前にあっては、日露戦争未来記が簇出して、いやが上にも敵愾心をあおり立てゝいたことである・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・なるほど指摘されて見ると、呉春の小品でも見る位には思えるちょっとした美がある。小さな稲荷のよろけ鳥居が薮げやきのもじゃもじゃの傍に見えるのをほめる。ほめられて見ると、なるほどちょっとおもしろくその丹ぬりの色の古ぼけ加減が思われる。土橋から少・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・いくら経験だと申して、何処其処の山で道に迷ったとか、或は又何処其処の海岸で寄宿をしたとかいうような談は、文章にでも書いて其の文章に詩的の香があったらば少しは面白いか知れませぬが、ただ御話し仕たって一向おかしくもない事になりますから申し上げら・・・ 幸田露伴 「旅行の今昔」
出典:青空文庫