・・・じゃ忘れないでね、――私も昨日あたりまでは、死ぬのかと思っていたけれど、――」 母は腹痛をこらえながら、歯齦の見える微笑をした。「帝釈様の御符を頂いたせいか、今日は熱も下ったしね、この分で行けば癒りそうだから、――美津の叔父さんとか・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・おとうさんやお母さんから頼まれていて、お前たちが死にでもしたら、私は生きてはいられないから一緒に死ぬつもりであの砂山をお前、Mさんより早く駈け上りました。でもあの人が通り合せたお蔭で助かりはしたもののこわいことだったねえ、もうもう気をつけて・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・ 魚は死ぬる。 湖水は日の光を浴びて、きらきらと輝いて、横わっている。柳の、日に蒸されて腐る水草のがする。ホテルからは、ナイフやフォオクや皿の音が聞える。投げられた魚は、地の上で短い、特色のある踊をおどる。未開人民の踊のような踊であ・・・ 著:アルテンベルクペーター 訳:森鴎外 「釣」
・・・B 君はきっと早く死ぬ。もう少し気を広く持たなくちゃ可かんよ。一体君は余りアンビシャスだから可かん。何だって真の満足ってものは世の中に有りやしない。従って何だって飽きる時が来るに定ってらあ。飽きたり、不満足になったりする時を予想して何に・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・ が、渠の身に取っては、食に尽きて倒るるより、自然に死ぬなら、蛇に巻かれたのが本望であったかも知れぬ。 袂に近い菜の花に、白い蝶が来て誘う。 ああ、いや、白い蛇であろう。 その桃に向って、行きざまに、ふと見ると、墓地の上に、・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・五十日のあいだというもの夜とも昼ともあなたわかんねいくらいで、もうこの世が泥海になるのだって、みんな死ぬ覚悟でいましたところ、五十日めごろから出鳴りがしずかになると、夜のあけたように空が晴れたら、このお富士山ができていたというこっでござりま・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・さきざきで子供を四人も生んだけれ共みんな女なんで出る段につれて来てその子達も親のやっかいになって育て居たけれどもたえまなくわずらうので薬代で世を渡るいしゃでさえもあいそをつかして見に来ないのでとうとう死ぬにまかせる外はない。弟の亀丸も女房を・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・人間は死ぬ時にならんと真面目になれんのや。それで死んでしもたら、もう、何もないのや。つまらん命やないか? ただくたばりそこねた者が帰って来て、その味が甘かったとか、辛かったとか云うて、えらそうに吹聴するのや、僕等は丸で耻さらしに帰って来たん・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・君と僕とドッチが先きへ死ぬか、年からいったって解るじゃないか。」「そりゃア解ってるさ。君のようにむやみと薬を飲むカラダじゃないからね。年なんかアテにならん。僕がアトへ残るのは知れ切ってる。こりゃあマジメだよ、君が死ねばきっと墓石へ書いて・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・「今血が出てしまって死ぬるのだ」というようである。 こんな事を考えている内に、女房は段々に、しかもよほど手間取って、落ち着いて来た。それと同時に草原を物狂わしく走っていた間感じていた、旨く復讐をし遂げたという喜も、次第に詰まらぬものにな・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
出典:青空文庫