・・・ さて、その言葉を証拠立てる積りでもあったのか、脂肪肥りのクルベルは、床に膝をついてユロ夫人の手に接吻した。 この活々と緊張して、而も落付き、社会の裏面を露く惨酷さでは骨髄を抉っている描写は、消えぬ絵となって我々の印象に焼きつけ・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・今日の社会で貧しい妻になり母となって経験した現実は一層彼女を社会性に目醒めさせ、彼女を先ず作家志望者たらしめたその積極性によって、その婦人作家は次第にはっきりと自身の文学が社会のどこに属すものであるかを理解しはじめ、作家としての実践が一定の・・・ 宮本百合子 「夫婦が作家である場合」
・・・そのまなざしは危ない瀬戸際で兵士たちの勇気をとり直させ、医者の沈着を支え、そして、失われそうであった命をとりとめる役にたつのであった。その死亡率を半減された兵士たちの心からなる喜びの眼に彼女が天使に見えたのは自然だった。 けれども、・・・ 宮本百合子 「フロレンス・ナイチンゲールの生涯」
・・・について技術的な面で感じることは、現実の錯雑の再現とその全体の確実性の強調として、作品の上で、科学的用語や保険会社の死亡調査報告書、くびくくりの説明図などに場所を与えすぎることは、寧ろ却って読者の実感を白けさせる危険があるのではないかという・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
・・・ 結果的には、写される人々のカメラへの全然の無頓着、冷淡さも画面としてはやはり或る面白さをもたらすだろうけれども、文化映画の本来の志望が、制作のための制作でないことを考えれば、永い将来のうちに、人々がいろんな場面で、自分たちの表現手段と・・・ 宮本百合子 「「保姆」の印象」
・・・ 図書館に勤めるようになった一人の若い作家志望の女が、その一見知識的らしい職業が、内実は無味乾燥で全く機械的な資本主義社会の経営事務であることを経験し、そこの官僚的運転の中で数多い若い男女の人間が血の気を失い、精神の弾力を失ってゆくのを・・・ 宮本百合子 「見落されている急所」
・・・ようやく白いあまい形をした花が散って子房がふとり出すと、もう一寸でもさわるとすぐ思いきりよくポロリと落ちてしまう。小さい、見えるか見えないかの小虫がついてもすぐ落ちてしまう。朝と夕方の清らかな露のうるおいとふるいにかけた様な空気とで育って行・・・ 宮本百合子 「芽生」
・・・人口に対する結核の罹病率、流産、乳幼児の死亡率などは無理な勤労、奉仕労働などの結果昂まって来たのである。けれども、ここで私達が悲しみと憤りとを以て思うことは、戦争遂行者たる支配者たちがこの事実を、どんなに私共人民の眼から隠そうと、努力して来・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・ゴーリキイが若い労働者の文学志望者に与える言葉の中に「私はロマンティシズムを支持する、しかし、ロマンティシズムに対して極めて本質的な条件つきのもとに」という意味のことをいっているのは以上の消息を語るものであると思う。 また、なぜ彼が小説・・・ 宮本百合子 「私の会ったゴーリキイ」
・・・骨組みのたくましい、筋肉が一つびとつ肌の上から数えられるほど、脂肪の少い人で、牙彫の人形のような顔に笑みを湛えて、手に数珠を持っている。我が家を歩くような、慣れた歩きつきをして、親子のひそんでいるところへ進み寄った。そして親子の座席にしてい・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
出典:青空文庫