・・・しかし僕は三味線の浮き浮きした音色を嫌いでないから、かえって面白いところだと気に入った。 僕の占領した室は二階で、二階はこの一室よりほかになかった。隣りの料理屋の地面から、丈の高いいちじくが繁り立って、僕の二階の家根を上までも越している・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 三味線をいれた小型のトランク提げて電車で指定の場所へ行くと、すぐ膳部の運びから燗の世話に掛る。三、四十人の客にヤトナ三人で一通り酌をして廻るだけでも大変なのに、あとがえらかった。おきまりの会費で存分愉しむ肚の不粋な客を相手に、息のつく・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・り、石橋の田村やが粉挽く臼の音さびしく、角海老が時計の響きもそぞろ哀れの音を伝へるやうになれば、四季絶間なき日暮里の火の光りもあれが人を焼く烟かとうら悲しく、茶屋が裏ゆく土手下の細道に落ちかかるやうな三味の音を仰いで聞けば、仲之町芸者が冴え・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・出臍の圭さんは、はっくしょうと大きな苦沙弥を無遠慮にやる。上がり口に白芙蓉が五六輪、夕暮の秋を淋しく咲いている。見上げる向では阿蘇の山がごううごううと遠くながら鳴っている。「あすこへ登るんだね」と碌さんが云う。「鳴ってるぜ。愉快だな・・・ 夏目漱石 「二百十日」
根津の大観音に近く、金田夫人の家や二弦琴の師匠や車宿や、ないし落雲館中学などと、いずれも『吾輩は描である』の編中でなじみ越しの家々の間に、名札もろくにはってない古べいの苦沙弥先生の居は、去年の暮れおしつまって西片町へ引・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
・・・の甕へ落ちる時分は、漱石先生は、巻中の主人公苦沙弥先生と同じく教師であった。甕へ落ちてから何カ月経ったか大往生を遂げた猫は固より知る筈がない。然し此序をかく今日の漱石先生は既に教師ではなくなった。主人苦沙弥先生も今頃は休職か、免職になったか・・・ 夏目漱石 「『吾輩は猫である』下篇自序」
・・・扇さしたる亭主かな青梅に眉あつめたる美人かな旅芝居穂麦がもとの鏡立て身に入むや亡妻の櫛を閨に蹈む門前の老婆子薪貪る野分かな栗そなふ恵心の作の弥陀仏書記典主故園に遊ぶ冬至かな沙弥律師ころり/\と衾かなさゝめこと・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・たとえば、(きょう本を買うにしても三味この頃芝居の切符を買う人の買い方が大変変って来たとききます。預金封鎖の強化と失業におびやかされて、芝居ずきの人も手当りばったりに金を出さなくなったわけです。本やでも同じことが云われはじめました。本当にい・・・ 宮本百合子 「朝の話」
・・・形遠き京なるおもちや屋の 店より我にとつぎ出しかなはにかみてうす笑する我よめは 孔雀の羽かげ髷のみを出す物語り思ひ出つゝ我髪を 切りて作りぬ細き指環を生れ出て始めてふるゝ三味の糸 うす黄の色のなつかしきか・・・ 宮本百合子 「短歌習作」
・・・「雨のしとしとと降る日なんかねえ、 一寸思いがけない処で三味の音をきくと思わず足が止まります。 『つばくろ』を抱えた娘になんか会うと羨しい気持がしますよ、 あの細っかい旋律が私の心に合ってるんです。」「篤さんは?」「・・・ 宮本百合子 「蛋白石」
出典:青空文庫