・・・コンクリートの二階建て、産院は細民カードに登録された家庭の婦人をお産の前後二週間四十人収容できるものなのだそうだ。 そして、一緒に建つ姙婦健康相談所で、プロレタリア婦人の避姙の相談にものり、産院で子を生ませてもらっても、とうてい育てられ・・・ 宮本百合子 「「市の無料産院」と「身の上相談」」
・・・あのように厳しく、そこから逃げ出せば法律で以て罰せられ、牢屋にまで送られた徴用の勤め先が軍部への思惑だけで、収容力もないほどどっさり徴用工の頭数だけを揃えていることや、そのために宿舎、食糧、勤労そのものさえ、まともに運営されて行かず、日々が・・・ 宮本百合子 「青年の生きる道」
最近よんだものの中で「強制収容所の十三ケ月」ヴォルフガング・ラングホフ著・舟木重信、池宮秀意共訳「巣の中の蜘蛛」千田九一訳などからつよく印象づけられました。はナチスの非人間的な強圧に対してドイツの民主的な人々がどんなにたた・・・ 宮本百合子 「相当読み応えのあったものは?」
・・・五番町英国大使館の前に、麹町区役所死体収容所が出来、あらゴモで前かけをした人夫が、かたまり、トタンのかこいをした場所に死骸をあつめて居る。夜、青山の通を吉田、福岡両氏をたずね、多く屋根の落ちかかった家を見る。ひどい人通りで、街中 九・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・ これでは困ると思ってしまいに、体を動かしたり、目を瞑ったりして聞きしめようとしているうちに、話し手は、また、一番初めと同じ勢のいい、賑やかな声で、 それ故、あなたがたも、皆修養して、立派な人格の所有者とならなければなりません。・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
いまはもう鹿児島県に入らない土地となった奄美大島の徳之島という島から十二歳の少女が収容船にのって国立癩療養所星塚敬愛園にはいって来た。十歳のとき発病して、小学校の尋常四年までしかいかなかった松山くにというその少女は、入園し・・・ 宮本百合子 「病菌とたたかう人々」
・・・ けれども、彼女の不撓な気質は、それから後は一層広汎な病院、貧民収容所の状態を改善した。彼女の傑出した論説の中には一九〇九年の窮民救助法調査会に先鞭をつけているものもあった。インドの衛生状態にも彼女の関心が向けられ、長年の間、新任印度総・・・ 宮本百合子 「フロレンス・ナイチンゲールの生涯」
・・・* ソヴェト同盟は当時、すべての学校に先ず労働者の子供らを入れ、農民の子供を入れ、勤め人の子を収容した。ツァー時代のブルジョア・地主の子等は学校に入れなかった。そのことについて「真理の擁護者マクシム・ゴーリキイ」に対する「哀れなる少年の・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの人及び芸術」
・・・却って、このことがきっかけとなって、友松円諦のような者や、農村自力更正修養団の思想やがはいりこむことも予想される。 この間、プロレタリア作家の徳永直と、これはプロレタリア短歌を専門とする渡辺順三とが、東北飢饉地方を見学に行った。私は断片・・・ 宮本百合子 「村からの娘」
・・・ 毎日のプログラムの内容、又講演、修養講座の内容等について、文化的な面から見れば、今日の『キング』、『日の出』の内容に対しておのずから発する感想が屡々誘発されざるを得ない。大衆の要求に沿うた内容ということは、いずれの場合でも決して、現代・・・ 宮本百合子 「「ラジオ黄金時代」の底潮」
出典:青空文庫