・・・ 米国の婦人は主我的で、非家庭的で、軽率で感情的だと云う事が極度にまで強調されます。彼の前に米国の女性は愛し、尊むべき女人ではなくて或人の言を借りて云えば、単に“Female”であるに過ぎない、其も物質的な、金の掛る家畜だとまで酷評され・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・そして、自意識は主我的にのみ発動することとなり、「自分を見る自分」と云う新しい存在が作品に登場し、横光利一はそれを第四人称と名づけた。ところで四人称の自我は、現実の認識と実践との統一の破れた象徴として現れているのだから、如何に見ている自分が・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ 考えて見ると、人間の主我的なところと、ハムブルな弱いところとをよく現して居る。こんな家でもあった丈有難く思う謙遜さ またそれをもっと快適なものにしようとする我ままさ。 ――○――◎私は自分が、空想に支配され、・・・ 宮本百合子 「一九二三年夏」
・・・ 独占的な霊との結合の感情は、日常生活において母を寛大にするよりも、却って主我的にしたのであった。 一九二九年の春から秋にかけ、父はモスクにいた私をのぞいた一家四人をひきつれて欧州旅行を企てた。父は全く母の最後の希望を満すために・・・ 宮本百合子 「母」
・・・二人の自然な愛情はなくて、重吉が決して惑溺することのない女の寧ろ主我刻薄な甘えと、ひろ子がそれについて自卑ばかりを感じるような欲情があるというのだろうか。「あんまり平凡すぎる!」 ひろ子は、激しく泣きだしながら頭をふった。「わた・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・九 怒りをもって怒りを鎮める事はできない。主我心をもって主我心を砕く事もできない。それをなし得るのはただ愛のみである。 怒りは怒りをあおり、主我心は主我心を高める。もし他人の怒りと主我心を呪うならば、まず自己の内の怒りと・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
・・・この苦痛は主我の思想によって転機に逢会するまで常に心を刺していたのであるが、転機とともに一時姿を隠した。自分はそれによって大いなる統一を得たつもりであった。しかしやがてまた苦痛は始まった。そうしてそれが追々強まって行くとともに、ちょうど夜明・・・ 和辻哲郎 「自己の肯定と否定と」
・・・個性と愛とを大きくするための主我欲との苦闘。主我欲を征服し得ないために日々に起こる醜い煩い。主我欲の根強い力と、それに身を委せようとする衝動と。愛と憎しみと。自己をありのままに肯定する心と、要求の前に自己の欠陥を恥ずる心と。誠実と自欺と。努・・・ 和辻哲郎 「「ゼエレン・キェルケゴオル」序」
・・・――とにかく私は自分の愛があまりに狭く、あまりに主我的ではなかったかを疑い始めた。私は彼らの「傾向」を憎んでも人間を憎むべきではなかった。彼らの傾向を捨てても人間を捨てるべきではなかった。私は道を求めつつ道に迷ったように思う。 私は徹底・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫