・・・「兵卒イワノフの手記」「卑怯者」でも、またアンドレエフの「血笑記」でも、モウパッサンのへんぺんたる短篇の戦争を扱ったものでも、やはり遙かに上にある。彼等は地主的或はブルジョア的イデオロギーの持主ではあったが、しかし、決してブルジョア乃至は愛・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・その老大家の手記こそは、この「狂言の神」という一篇の小説に仕上るしくみになっていたのに、ああ、もはやどうでもよくなった。文章に一種異様の調子が出て来て、私はこのまま順風を一ぱい帆にはらんで疾駆する。これぞ、まことのロマン調。すすまむ哉。あす・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・ その大正七、八年の社会状勢はどうであったか、そうしてその後のデモクラシイの思潮は日本に於いてどうなったか、それはいずれ然るべき文献を調べたらわかるであろうが、しかし、いまそれを報告するのは、私のこの手記の目的ではない。私は市井の作家である・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・という長篇小説を書いているが、その一節を左に披露して、この悪夢に似た十五年間の追憶の手記を結ぶ事にする。嵐のせいであろうか、或いは、貧しいともしびのせいであろうか、その夜は私たち同室の者四人が、越後獅子の蝋燭の火を中心にして集まり、久し・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・(私はこの手記に於いて、ひとりの農夫の姿を描き、かれの嫌悪すべき性格を世人に披露し、以て階級闘争に於ける所謂「反動勢力」に応援せんとする意図などは、全く無いのだという事を、ばからしいけど、念のために言い添えて置きたい。それはこの手記のお・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・という雑誌の片隅に、私がこのまずしい手記を載せてもらおうと思い立ったのも、そのひとが仙台市か或いはその近くの土地に住んでいるように思われて、ひょっとしたら、私のこの手記がそのひとの眼にふれる事がありはせぬか、またはそのひとの眼にふれずとも、・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・ 結局、私のこんな手記は、愚挙ということになるのだろうか。私は文を売ってから、既に十五年にもなる。しかし、いまだに私の言葉には何の権威もないようである。まともに応接せられるには、もう二十年もかかるのだろう。二十年。手を抜いたごまかしの作・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・けれども、私は過去のその数十篇の小説のなかから、二、三、病中の手記を除かなければいけない。これは断じて、断じてという言葉を二度使ったわけであるが、断じて除外しよう。いま読みかえし、私自身にさえ、意味不明の箇所が、それらの作品には散見されるの・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・平静な水面のような外見の底に不断に起こっていた渦巻がいかに強烈なものであったかは今私の手もとにある各種の手記を見ればわかる。そういう意味で亮は生まれつき強い人々よりも幾倍も強い男であったかもしれない。 亮のような柔らかい心臓と彼のような・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・自分は彼の言語動作のいずれの点にも、酒気に駆られて動くのだと評してしかるべききわだった何物をも認めなかったので、異常な彼の顔色については、別にいうところもなく済ました。しばらくして彼は茶器を代えに来た下女の名を呼んで、コップに水を一ぱいくれ・・・ 夏目漱石 「手紙」
出典:青空文庫