・・・これは、上野宿坊の院代へ問い合せた上、早速愛染院に書き直させた。第三に、八月上旬、屋敷の広間あたりから、夜な夜な大きな怪火が出て、芝の方へ飛んで行ったと云う。 そのほか、八月十四日の昼には、天文に通じている家来の才木茂右衛門と云う男が目・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・当座の中こそ訪問や見物に忙がしく、夙昔の志望たる日露の問題に気焔を吐きもしようし努力もするだろうが、暫らくしたら多年の抱懐や計画や野心や宿望が総て石鹸玉の泡のように消えてしまって索然とするだろう。欧洲戦が初まる前までどころか、恐らく二、三年・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・門を並べた宿坊の入口では、エプロンをかけた若い女が全く宿屋の女中然として松の樹の下を掃いたりしている。 参詣人の大群は、日和下駄をはき、真新しい白綿ネルの腰巻きをはためかせ、従順にかたまって動いているが、あの夥しい顔、顔が一つも目に入ら・・・ 宮本百合子 「上林からの手紙」
・・・近頃その宿望がやっとそろそろ日の目を見るようになって来たらしい。私は近いところに二人、それより一寸はなれて一人、よい仲間が出来始めた。方向をかえると、他にも二人ばかり。この人達は、皆生れつきが違っている、それで私を種々な方にのばしてくれる。・・・ 宮本百合子 「大切な芽」
・・・――永年の宿望を遂げて、貯蓄した金でさて一軒建てようという人々のように、騙されやしまいかと心配したり一円でも廉くていいものを使いたいとか、こせついて癪に触るようなさもしいところが、飯田の奥さんにはちっともなかった。――が、後見の手塚準之助が・・・ 宮本百合子 「牡丹」
某儀明日年来の宿望相達し候て、妙解院殿御墓前において首尾よく切腹いたし候事と相成り候。しかれば子孫のため事の顛末書き残しおきたく、京都なる弟又次郎宅において筆を取り候。 某祖父は興津右兵衛景通と申候。永正十一年駿河国興・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・年嶋原征伐と相成り候故松向寺殿に御暇相願い、妙解院殿の御旗下に加わり、戦場にて一命相果たし申すべき所存のところ、御当主の御武運強く、逆徒の魁首天草四郎時貞を御討取遊ばされ、物数ならぬ某まで恩賞に預り、宿望相遂げず、余命を生延び候。 然る・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
出典:青空文庫