・・・灰色の繻子に酷似した腹、黒い南京玉を想わせる眼、それから癩を病んだような、醜い節々の硬まった脚、――蜘蛛はほとんど「悪」それ自身のように、いつまでも死んだ蜂の上に底気味悪くのしかかっていた。 こう云う残虐を極めた悲劇は、何度となくその後・・・ 芥川竜之介 「女」
・・・ お蓮は涙を隠すように、黒繻子の襟へ顎を埋めた。「御新造は世の中にあなた一人が、何よりも大事なんですもの。それを考えて上げなくっちゃ、薄情すぎると云うもんですよ。私の国でも女と云うものは、――」「好いよ。好いよ。お前の云う事はよ・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・こんな山が屏風をめぐらしたようにつづいた上には浅黄繻子のように光った青空がある。青空には熱と光との暗影をもった、溶けそうな白い雲が銅をみがいたように輝いて、紫がかった鉛色の陰を、山のすぐれて高い頂にはわせている。山に囲まれた細長い渓谷は石で・・・ 芥川竜之介 「槍が岳に登った記」
・・・ 階下で添乳をしていたらしい、色はくすんだが艶のある、藍と紺、縦縞の南部の袷、黒繻子の襟のなり、ふっくりとした乳房の線、幅細く寛いで、昼夜帯の暗いのに、緩く纏うた、縮緬の扱帯に蒼味のかかったは、月の影のさしたよう。 燈火に対して、瞳・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・ とあとへ退り、「いまに解きます繻子の帯……」 奴は聞き覚えの節になり、中音でそそりながら、くるりと向うむきになったが早いか、ドウとしたたかな足踏して、「わい!」 日向へのッそりと来た、茶の斑犬が、びくりと退って、ぱっと・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・ 薄手のお太鼓だけれども、今時珍らしい黒繻子豆絞りの帯が弛んで、一枚小袖もずるりとした、はだかった胸もとを、きちりと紫の結目で、西行法師――いや、大宅光国という背負方をして、樫であろう、手馴れて研ぎのかかった白木の細い……所作、稽古の棒・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・待乳屋の娘菊枝は、不動の縁日にといって内を出た時、沢山ある髪を結綿に結っていた、角絞りの鹿の子の切、浅葱と赤と二筋を花がけにしてこれが昼過ぎに出来たので、衣服は薄お納戸の棒縞糸織の袷、薄紫の裾廻し、唐繻子の襟を掛て、赤地に白菊の半襟、緋鹿の・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・黒髪に笄して、雪の裲襠した貴夫人のように遥に思ったのとは全然違いました。黒繻子の襟のかかった縞の小袖に、ちっとすき切れのあるばかり、空色の絹のおなじ襟のかかった筒袖を、帯も見えないくらい引合せて、細りと着ていました。 その姿で手をつきま・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・……素足の白いのが、すらすらと黒繻子の上を辷れば、溝の流も清水の音信。 で、真先に志したのは、城の櫓と境を接した、三つ二つ、全国に指を屈するという、景勝の公園であった。 二 公園の入口に、樹林を背戸に、蓮池を・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・小褄を取った手に、黒繻子の襟が緩い。胸が少しはだかって、褄を引揚げたなりに乱れて、こぼれた浅葱が長く絡った、ぼっとりものの中肉が、帯もないのに、嬌娜である。「いや知っています。」 これで安心して、衝と寄りざまに、斜に向うへ離れる時、・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
出典:青空文庫