・・・「どこだい?」「どちらでございますか、――」「しょうがないな、いつでもどちらでございますかだ。」 洋一は不服そうに呟きながら、すぐに茶の間を出て行った。おとなしい美津に負け嫌いの松の悪口を聞かせるのが、彼には何となく愉快なよ・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ ――覚えていますが、その時、ちゃら金が、ご新姐に、手づくりのお惣菜、麁末なもの、と重詰の豆府滓、……卯の花を煎ったのに、繊の生姜で小気転を利かせ、酢にしたしこいわしで気前を見せたのを一重。――きらずだ、繋ぐ、見得がいいぞ、吉左右! と・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・「森々としたもんでがんしょうが。」と後棒が言を添える。「いかな日にも、はあ、真夏の炎天にも、この森で一度雨の降らぬ事はねえのでの。」清水の雫かつ迫り、藍縞の袷の袖も、森林の陰に墨染して、襟はおのずから寒かった。――「加州家の御先祖が、今の武・・・ 泉鏡花 「栃の実」
・・・――老人田舎もののしょうがには、山の芋を穿って鰻とする法を飲込んでいるて。拙者、足軽ではござれども、(真面目松本の藩士、士族でえす。刀に掛けても、追つけ表向の奥方にいたす、はッはッはッ、――これ遁げまい。撫子、欣弥の目くばせに、一室・・・ 泉鏡花 「錦染滝白糸」
・・・私極りわるくてしょうがないわ」「よしとそれじゃ僕が先になろう」 僕は頗る勇気を鼓し殊に平気な風を装うて門を這入った。家の人達は今夕飯最中で盛んに話が湧いているらしい。庭場の雨戸は未だ開いたなりに月が軒口までさし込んでいる。僕が咳払を・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ お松が自分をおぶって、囲炉裏端へ上った時に母とお松の母は、生薑の赤漬と白砂糖で茶を飲んで居った。お松は「今夜坊さんはねえやの処へ泊ってください」と頻りに云ってる。自分は点頭して得心の意を示した。母は自分の顔を見て危む風で「おまえ泊れる・・・ 伊藤左千夫 「守の家」
・・・しコーヒ、氷西瓜、ビイドロのおはじき、花火、水中で花の咲く造花、水鉄砲、水で書く万年筆、何でもひっつく万能水糊、猿又の紐通し、日光写真、白髪染め、奥州名物孫太郎虫、迷子札、銭亀、金魚、二十日鼠、豆板、しょうが飴、なめているうちに色の変るマー・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・「それでも洋服とは楽でがんしょうがの」と、初やが焜炉を煽ぎながらいう。羽織は黄八丈である。藤さんのだということは問わずとも別っている。「着物が少し長いや。ほら、踵がすっかり隠れる」と言うと、「母さんのだもの」と炬燵から章坊が言う・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・玉子豆腐の朱わんのふたの裏に、すり生姜がひとつまみくっつけてあったことを、どういうわけか覚えている。父が何かしらそれについて田舎と東京との料理の比較論といったようなものをして聞かせたようであった。 天狗煙草が全盛の時代で、岩谷天狗の松平・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・それどころか、ややもすればわれわれの中のさもしい小我のために失われんとする心の自由を見失わないように監視を怠らないわれわれの心の目の鋭さを訓練するという効果をもつことも不可能ではない。 俳句の修業はその過程としてまず自然に対する観察力の・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
出典:青空文庫